音楽職人vol.1 前編

meg rock(めぐ・ろっく)

「グミ」名義で広瀬香美プロデュースによる『Catch You Catch Me』でデビュー。 その後、本間昭光とのプロジェクト「g.e.m.」、岡崎律子とのユニット「メロキュア」、 「日向めぐみ」としての作品のほか、2004年からは「meg rock」名義でセルフプロデュース によるソロ活動をスタート。現在は「meg rock」としての活動を中心に、中川翔子や玉置成実を はじめ、アーティスト、アイドルなどへの楽曲提供やプロデュースと多方面にて活躍中。

▼meg rock official web site
http://www.megrock.com/

mighty roller coaster

CDジャケット

LHCA-5085 / \3,000(税込) / ランティス
2008.02.27発売

incl.

CDジャケット

LHCM-1022 / \1,200(税込) / オンザラン
2006.05.10発売

clover

CDジャケット

LHCM-1015 / \1,200(税込) / オンザラン
2005.11.09発売

ベビーローテンション

CDジャケット

LHCM-1005 / \1,300(税込) / オンザラン
2005.02.24発売

ラブボ

CDジャケット

PWCP-1012 / \2,310(税込) / PRHYTHM
2004.09.29発売

取材・文/濱田高志 写真/天満眞也 ヘアメイク/神田裕子 協力/スリートゥリー ランティス

アニメ主題歌がレコード会社とのタイアップや、アーティストのイメージ戦略の一端を担うようになって久しいが、その関係が相互の魅力を倍加させる幸福な形に帰結する場合もあれば、時に両者間にまるで関係性が認められないまま、さして印象に残ることなく残念な結果に終わる場合もある。そのためタイアップやコラボレーションの在り方については、軽々しくその良し悪しを語れるものではない。しかし、願わくば、主題歌は常に作品の内容に即した“相応しい楽曲”であって欲しい。曲の一節を口ずさむと同時に、本編のシーンが脳裏に浮かぶのが理想である。そんななか『天元突破グレンラガン』のオープニングを飾った「空色デイズ」は、詞・曲、編曲、そして中川翔子の歌唱を含めた全ての要素が作品の世界観にマッチした会心の一作だった。少なくとも視聴者は、主題歌を耳にした途端、皆、一様に作品への期待を膨らませたはずだ。

そして、その「空色デイズ」の印象的な歌詞を書いたのが、今回より「前・後編」二回に渡って登場するmeg rockである。これまで様々なアーティスト名で各種プロジェクトに参加してきた彼女だが、 近年はmeg rock名義で精力的に活動中で、今や飛ぶ鳥を落とす勢い。詞・曲を手掛け時にシンガーとして他アーティストの作品にコーラス参加するなど、キャリアを重ねるごとに意欲的な活躍が目立っている。今春放送された『墓場鬼太郎』ではヒロイン寝子が歌った挿入歌「君にメロロン」の楽曲提供で、アニメファンのみならず、ポップスファンの話題をさらったのも記憶に新しい。
本企画では彼女への長時間に渡る取材を敢行、その音楽履歴を語ってもらった。

幼少時の音楽体験〜デビューまでの道のり

――幼少時の音楽体験から伺います。初めて接した音楽は何ですか。

meg rock(以下、m) 何を最初に聴いたかは覚えていないんですけど、多分、家族が家で聴いていた音楽だと思います。何しろ親がすごいビートルズ好きなんですよ。ですから、小さい頃からビートルズをよく聴いていました。

――音楽一家だったんですか。

m うちの家族単体というよりは、親族全体を見ると割と音楽的な家系なんです。でも、親は音楽好きには違いないんですけど、祖母や親の兄弟は音大を出ているのに、うちの親だけ違ったり、うちの兄弟も本腰を入れて何か音楽を、という訳ではなかったです。

――親類縁者の方々のなかには、実際にプロとして音楽を仕事にされている方もいらっしゃるんですか。

m はい。でも、ポップスではなく、クラシックの分野です。

――兄弟が聴いていた音楽の影響はありますか。

m やっぱり、それはありますね。小さい時、アメリカに住んでいたんですけど、当時は兄弟や友達が好きで聴いていたものとか、ラジオから流れていた曲なんかを普通に聴いていました。おこづかい的にまだ自らCDを買いに行くって感じじゃなかったですしね。

――当時、気に入って聴いていたアーティストというと?

m きっかけが兄弟か友達だったかは覚えていないんですけど、ジェリーフィッシュに出会って好きになりました。

――90年頃ですね。しかし、短命なグループでした。たった2年で解散ですから。

m 2枚目のアルバムが出た直後に。知った頃にはもう解散みたいな(笑)。

――ああいった、ねじれた感覚の音がお好きなんですか?

m やっぱり、ポップでメロディアスなのが好きなんです。確かに、ねじれたのも好きかもしれないです。でも、今思えば、好きな音楽のベースにビートルズがあるのは大きいですね。それもあって、子供心にジェリーフィッシュは判りやすかったのかも知れません。あと、当時はヴァネッサ・パラディがすごい好きだったんですね。レニー・クラヴィッツがプロデュースしてた頃です。その後は、ブルートーンズやスローンが好きになって。色んな音楽を聴いていくうちに、自分が好きになるアーティストの傾向が判ってきたんです。私は基本的にピアノ・ロックが好きで、あと、意外とダンス系の要素が入ったものも好きだってことが判りました。もう、ホント、すごい好きなんですよ!踊れる系が。自分ではそういう方向に走ってるつもりなんですけど、実はリスナーにはあまり伝わっていないかも知れない。

――確かに意外な感じがします。では、ここ最近気になっているアーティストや曲というと?

m わかりやすいところでは、ザ・フージアーズの「グッバイ・ミスター・A」っていう曲が気になってます。ラジオで流れているのを聴いて、イントロの時点ですぐ、これは好きな感じ!というのがわかりました。あと、ちょっと前に音楽系のチャンネルでライブ映像を見て気になったのが、シザー・シスターズ。過去の作品も併せて即買っちゃいました。

――苦手なジャンルの音楽はありますか。

m 多分、あんまりポップじゃないのは駄目かも。でも、私の場合、ポップの尺度がすごく広いので、大抵のものは大丈夫なのかも知れません。

――なるほど。ちなみに、アメリカ暮らしの時は、普通に英語の歌を聴いて歌っていたんですね。

m そうです。

――いわゆるアカデミックな音楽教育は受けられましたか。

m はい。ピアノとフルートを。アメリカでブラスバンドに入ったんですよ。で、その時にフルートを始めて、日本に帰ってからもやってました。

――ピアノは何歳の頃から。

m 4歳です。それこそ音楽をやっている祖母から提示された選択肢が、ピアノとヴァイオリンとフルートだったんです。そのなかから「さぁ、どれ?」っていう感じで。そこに、やらないって選択肢はなくて、「始めるなら今よ!」みたいな雰囲気で「さぁ、どうする?」って言われて、結局ピアノを選んだんです。だって3、4歳ぐらいでリアリティがある楽器ってピアノぐらいしかないですよね。一番知ってる楽器だから、というのが理由だった気がします。

――ピアノに接するなかで、作曲に対する欲求が湧いてきたのはいつ頃ですか。

m 当時、家で謎の歌をすごくたくさん作って歌ってたっていうことを家族から聞きました。親も家庭内アーティストじゃないですけど、数々のオリジナルのレパートリーを持ってるんですよ。我が家ではもう超有名な、定番のエバーグリーンな歌なんですけど、外では誰も判らないっていう(笑)。

――家庭内ヒット、ですね。鼻唄のような。

m はい。家庭内ヒットは家族みんなにありましたからね。誰にでも持ち歌があったという(笑)。でも、今、振り返ってみれば、そうしたことを含め、意外と音楽に溢れた家庭だったんだなと思います。

――学生時代はどのような音楽活動をされていましたか。

m 日本に戻ってからは、文化祭とかで合唱コンクールの課題曲なんかを真剣にバンドアレンジしたりする、おもしろ系のコピーバンドをやってました。

――なるほど。オリジナル曲を歌うバンドではなかったんですね。では、オリジナルを書き始めたのはいつ頃になりますか。

m デビューの半年前です。

――それまでは、例の謎の曲以外に作られたことはなかったんですか。

m はい。実は最初に曲を書いた日に、私、20曲書いてるんですよ。書き始めたら止まらなくて、一気に書いちゃったんです。

――それは自発的に書こうと思って書かれたんでしょうか。

m はい。デビューの1年ぐらい前からデビューに向けた動きがあって、時おり既存の曲を歌ってデモを録り始めていたんです。

――それは個人的にですか。

m いえ、メーカーの方なんかと。

――そもそもプロを目指すきっかけは何でしたか。

m プロになろうと思ったのは……。これ、話すと長いんですけど、いいですか。

――もちろん。順にお話しして下さい。

m 明確にプロを目指してたというか、ただ目の前の興味ある事に飛び込んでいっていたら……という積み重ねで今に至る感じなんですが、あっ!私、今、すごい大事なことを言い忘れてたっていうことに気付いたんですけど。私、96年に自分でホームページを始めたんですよ。

――個人でですか。かなり早いですね。

m 早いんです。96年にホームページを立ち上げて、その年の終わりには、トップページで、「歌をやりたいです」って書いたんです。そしたら、明けて翌年の3月には色んなところでデモを録ってたので、ホームページ、ネットの力ってすごいなって実感して。自分が音楽をやりたいって思った瞬間にホームページを立ち上げたんですよね。当時うちの親がパソコンを買ったんですよ。それこそWindows95です。あれが出なかったら、私、デビューしてなかったかも知れない。ある日、クラスの友達と話していると、「メグちゃん、そういう音楽の仕事やりたいんだったら、ホームページとか作ればいいでしょ」って言われて、その時は「ホームページ? 何それ? 自分で作れるの?」みたいなことだったんですけど、その日のうちに本屋に行って、ホームページの作り方の本を買ってました。もう、やり出したら止まらない性格なので、その日のうちにさっくり上げて。

――結構、アクセスありましたか。

m 割とありましたね。最初のうちは少なかったんですけど、なんかツッコミのメールが来るんですよ。「タグ間違ってるよ」とか。本当に見よう見真似で本にある通りにやってるだけなので、あの頃はhtmlもイマイチ判ってなかったんです。そんな訳で、色々教えてもらいながらやってました。多分、当時、女の子で自分でホームページ持ってる人って少なかったんですよ。それで珍しがられたんだと思います。それこそ最初に声をかけて頂いたレコードメーカーの方も、「ホームページ見てたら、ちょっと面白そうだったからメールしてみました」みたいな感じでコンタクトがありましたし。

――そこではどういう情報を出していたんですか。

m 当初の主なコンテンツとしては、まずは日記ですね。あとは写真を載せたり。知り合いのカメラマンさんに撮ってもらった写真とかで、良さ気なのを壁紙にしてもらうべくカレンダーにしてみたり。歌って言ってるのに、もう、どういう方向に行きたいのか判んない。今思えば、お前はどこに行きたいんだ? って感じですけどね(笑)。なんか、どうすれば喜んでもらえるだろう? みたいな感じで、手探りのまま試行錯誤してましたね。とにかく、何かのきっかけになればいいやと思ってやってたんです。

――なんだか、貪欲な感じがいいですね。

m あの頃は、興味があれば、後先考えずに闇雲に飛び込むということがすごく多かったですね。ホームページ始めた時も、家族全員がびっくりしてましたから。

――ご家族はご覧になってたんでしょうか。

m 多分、こっそり、日記とかは見てたんじゃないですかね。そんな流れで録ってみたデモも、メーカーの方と録り出したりする前、最初は普通に自宅でMDに録ってたんです。で、それをホームページを通じて知り合った音楽関係者の方々に送って聴いてもらったら、「すごく声がいい」って言われて。そんなの初めてだったんですよ。私は生まれてからずっとこの声だし、その時まで声がいいなんて言われたこともなかった。しかも、それが一人や二人じゃなかったんです。

――デモでは、どんな曲を歌われたんですか。

m レンタル屋で借りてきたCDのカラオケに歌を入れた感じです。CHARAさんやMY LITTLE LOVERさんとか、割とその当時のJ-POPの王道を。ただ、そうした曲をやってるうちに、「じゃ、今度はオリジナル曲を歌ってみましょうか」っていうことになったんです。それで、メーカーの方が抱えている作家の方と一緒にデモを録ることになって、初めてスタジオでのレコーディングを経験したんです。でも、そうやって作家さんが書いた曲をいくつも歌っていると、段々、違うっていうことが判ってきて。自分がやりたいのはこれじゃない、と。そこが作曲を始める動機というか原点なんです。歌いながら、なんか違うんだけど、うまく言えないし、でも、やっぱり違う、みたいな葛藤があって。実際、それまで自分でちゃんとした曲を書いていたわけではないので、具体的にこういうのがやりたいとも言えないんです。だけど、違うことは判る。やがて、その気持ちが担当の方に伝わったみたいで、最初は「じゃあ、詞とか書いてみる?」って言われて、デモに詞をつけたんです。今見るとものすごい歌詞なんですけどね。昔から割と色んなものを書きためる子だったので、その時の自分のなかにあった色んなことを詰め込んだような歌詞で。例えるなら、メインディッシュを幾つも詰め込んだみたいな。Aメロで「カツきた!」、Bメロ「ハンバーグ!」、サビ「え? ステーキも?」って感じ(笑)。もうとにかくゴテゴテの歌詞なんですけど、多分、「どうしよう、これが最初で最後かも知れない」ぐらいに思っていたこともあって、無意識のうちにものすごいのを、「どうだ!」って勢いで書いたんです。ところが、その歌詞がたまたま巡り巡って本間昭光さんの目に留まったんですね。生まれて初めて純粋に歌や歌詞だけを聴いて気に入って下さって。そんなふうに反応して下さったのは、本間さんが初めてでした。

――そこから本間さんと一緒にデモを録るようになったんですね。作曲も同じ頃に始められたんですか。

m 本間さんに出会うちょっと前からです。周りから「もっと書いてみればいいじゃない」って言われたこともあって、自分を見つめ直すいい機会にもなると思って。さっきの作詞の延長みたいな感じで始めたんですよ。で、さっきお話しした通り、初日にいきなり20曲書いちゃったんです。その週は下校時間が待ち切れなくて、終わったら大急ぎで家に帰ってました。その時は曲を作っているなんてまだ家族には内緒だったので、部屋にこもって、ピアノを弾きながらちっちゃな声で歌ってましたね。

――しかし、一晩で20曲ってすごいですね。アルバム2枚ですよ。

m 相当たまってたんでしょうね。きっと、何かきっかけが欲しかったんだと思います。

――自我が目覚めたんでしょう。ところで、そのデモを聴いた時の周りの反応っていうのは、どんな感じでしたか。

m 結構、好感触でした。でも、アレンジも全然ちゃんとしていないし、だからすぐにどうするって感じでもなく、「そのままストックしていったら?」って言われて、それから定期的に曲を作るようになったんです。

――そこからデビューに至る経緯を伺えますか。

m 当時、本間さんが一緒にお仕事されていた広瀬香美さんが、私のデモを聴いて、すごく褒めて下さったんです。何より声がすごくいい、みたいなことをおっしゃって下さってたみたいで、その縁でレコーディングにも何度か遊びに行かせていただきました。そのあと、香美さんプロデュースでアニメの主題歌を、という企画が持ち上がって「メグちゃんだったら多分はまると思うんだけど、どうかな?」って声をかけていただいたんです。周りにも「(デビュー前に)なかなかそういう機会もないから、アニメに抵抗がないんだったらやるべき」と言われたんですよ。最初、アニメに抵抗がないなら、っていう意味が判らなかったんですけど、おそらく、当時は、まだアニメの主題歌とJ-POPそれぞれが、明確にジャンル分けされていた時期だったんですね。今みたいにアニメのタイアップが一般的っていうことじゃなかったんだと思います。でも、皆さんも勧めてくれるし、私自身別に抵抗もなかったので、とりあえずデモを録って先方にお聴かせすることになったんです。

――その後、どういった過程を経て採用されたんですか。

m 実は本番のレコーディングが終わっても、私はまだ決まってないと思っていたので、レコーディングが終わった日に、「これっていつ決まるんですか」って尋ねたくらいなんです。だから、知らないうちにデビューが決まってたんですよね。いや、デビューっていうか、その当時は、まだまだ半人前っていう自覚もあって、まだそれがデビューと思えていなかったです。で、名前も自分で色々考えたんですけど、メグじゃきっとほかにもいっぱいいるだろうし、果汁グミが好きだったから「そうだ、グミにしよう!」って感じで、半人前という意味でも今は名前の一部を取ってグミだけど後々出世魚の様に文字数も増やした名前に徐々に変わっていこう! となぜか勝手に目論んでいました。

――録音時、具体的に細かなディレクションはありましたか。

m ありました。香美さんもヴォーカリストですし、当時の私は素人同然なので、声の出し方もちゃんと判ってないんですよ。だから楽曲的にここはこう歌うとか、そういうオーダーじゃなくて、基本的な息の仕方から何から手取り足取りって感じでしたね。

――グミ名義で発売されたテレビアニメ『カードキャプターさくら』の主題歌「Catch You Catch Me」(98年4月発売)を初めて聴いた時、あの溌剌とした歌声に、若き日の堀江美都子さんを連想したんです。言葉がはっきり伝わるっていうのが特徴的なのと、声に力があるという意味で。素直に、とてもいい声だなと思いました。歌詞の明瞭度の高さは抜群だと思います。

m 今、急に思い出したんですけど、その、はっきり歌うっていうことについては、私、日本語がちょっとカタコトっていうか、舌っ足らずなところがあって、特に歌になるとつい英語っぽくなっちゃうのと、巻き舌風になる点をよく指摘されました。どうも、言語野が一番発達する時期にアメリカにいたのが原因みたいなんです。だから、レコーディングの時は日本語としてちゃんと伝わるように歌うっていうことを意識しましたね。それこそひとつの文字を子音と母音に分割して、その母音を意識しながら歌ったりしてましたから。そういった意味でも、言葉が伝わると言って頂いて嬉しいです。その成果が表れてたってことですよね。

――ところで、そのデビュー曲のカップリングが自作ですよね。それは例の20曲のうちのひとつですか。

m いえ。書き下ろしでした。

――それは、発注を受けて書いた最初の曲ということですか。

m そうですね。カップリングが決まっていないところで、メーカーの担当の方に「なんか曲書けるってことを聞いたんだけど、書いてみる?」って訊かれて、もう、迷わず「書きます!」って言ったら、周りがすごいびっくりしたんです。なんか、「そんな自信あるんだ?」みたいな感じで。あとから「カップリングにいきなり? まだ、そういうちゃんとした盤になっているものは書いたことないじゃん」みたいなことを言われて、あぁ、そうかと思ったんですけど、まだ子供だったし、その時はもう「私書けるから!」って思い込んでるんで(笑)。確かに今考えると、ちょっと無鉄砲なところがありましたね。でも、やっぱりその時に立候補したのが良かったらしくて、それをきっかけに曲を書かせてもらえるようになりました。ちょうどグミの時は、私、楽曲を書く時は勝手に別人という設定でやっていたんですよ。なので楽曲はグミ名義ではなく日向めぐみ名義で書いてました。

――ちなみに、詞曲を手掛けることについては、どちらも抵抗なかったんですか。曲は書けるけど詞は駄目、もしくはその逆という人もいると思いますけど。

m 実はそういうプリミティブなところは、誰にも指導されていないんですよね。それが面白いと思って下さったのか判らないんですけど、本間さんとデモを作っていく段階でも、いい意味でああしろ、こうしろ、みたいなことは何も言われなくて、やってみて、「あ、いいんじゃない?」って感じだったので。

――じゃあ、もう、自分の中では詞でも曲も、どっちでもドンと来いっていう感じで。

m そうですね、はい。