文字が多すぎた
アニメック5号は、「東京ムービー特集・ビッグXから宝島」と決定していた。もう少し後には東京ムービーが作品製作で、東京ムービー新社が広報と版権管理を担当していたが、まだこの時期だと東京ムービーに行けば全てが片づいた時代である。後にキョクイチムービーとなり、現在は株式会社トムス・エンタテインメント 東京ムービー事業本部となっている。本社は新宿区西新宿、制作スタジオは中野区上高田にそれぞれ移動した。
編集部のある新宿御苑前から丸の内線で南阿佐ヶ谷に行き、青梅街道から一本裏に入ると田園風景の広がる田舎道で、そこを暫く歩くと東京ムービーの社屋があった。今は雑木林も畑も新興住宅地になっており見覚えのある団地以外は、昔の面影はない。
毎日のように通い、設定資料の束を抱えて帰る途中、都内にこんな閑静な場所があったのかと思うくらいの田舎道だった。車の溢れかえった青梅街道に出て、杉並区役所前の杉並木が見えれば地下鉄の駅である。
怪人二十面相の中の一節に、「東京の西の外れに荻窪という町があります」という書き出しで始まる事件があるが、当時の南阿佐ヶ谷は、本当に東京の外れという風情だった。荻窪と隣接する街だったのだが、その荻窪とて、タウンセブン等の駅前開発が始まる前の静かな場所であった。今の荻窪から南阿佐ヶ谷にかけての都会感は、まだなかったのだ。
図書館に行き、新聞の縮刷版を確認して放映リストを作り、原稿を書き始めた時にとんでもない事がわかった。試しに2ページ見開き分のラフを組み、原稿と図版をU杉に渡したのだが、彼が頭を捻っている。しばらくして、恐ろしい事実に私も気が付いた。
「はははっ、こりゃまいったな。妙な余白無くして、文字がいっぱい入るようにしたじゃないか。かなり大きい煽り文句や小見出しを付けてもな、お前の原稿半ページもないわ」
つまり、予定していた3倍か4倍の原稿量が必要になるのだ。
「うーーむ、旧作は徹夜で俺が全部書くとしてだな、宝島は別扱いしたいし、インタビューもあったりする。絶対に人が足りないわけだ」と頭を抱える私。
かくして全ての知り合いに緊急呼集を掛けることになった。使える者は何でも使えである。あろうことか、東京ムービーでアニメーターをやっている友人までこき使うという臨戦態勢を組み上げた。
「秀ちゃんや、まんが画廊にまだ使える人間は残っているかね」
「無理でしょう。もうみんな独立しちゃった感じで、使える人は夜中に集まって企画会議みたいな事をやってますからね」
この企画ごっこの中から生まれた作品のひとつが、後の『機動警察パトレイバー』なのは、一部ではかなり有名な話である。残念ながら私が画廊に居候している頃には、ゆうきまさみ氏とは数回しか遭遇していない。時期や時間帯が異なると、まんが画廊の常連と言っても全員が揃うわけではないのだ。
かくして、編集部泊まり込み要員と、古巣の黎明企画泊まり込み要員を使い、今日はいったい何日の何曜日かもわからない混沌とした編集作業が続くことになった。実は、寝るだけでいいんだからと、前年に新高円寺にU杉と二人でアパートを借りていた。ここは六畳二間(うち一間は、板敷きの大きめの台所である)で、とても他の人間が寝られる状態ではなかったのである。そんなわけで約40日くらいは、この部屋に帰って寝るという人間らしい生活はできなかったのだ。電話があるのだけが取り柄で、斎場の裏側という立地が幸いした格安の物件だった。ここの大家さんにはかなり心証が悪かったようである。毎日男二人で、新宿二丁目に出勤するわけだから、絶対に怪しい人間だと思われていたに違いない。
はっきり言って、この1ヵ月の記憶はかなり曖昧だ。特に後半の一週間は、鉛筆が握れないほど手が痺れたら15分仮眠、起きたら原稿の続きを書き、腹が減ったら飯を食うという奴隷状態。奴隷なら脱走を試みるのだが、逃げられない立場の編集長の身とあっては、どうやって原稿が書けたのかも謎の疲労困憊状態であった。
だが、うまくしたもので、新宿御苑と南阿佐ヶ谷の途中に新高円寺があった。丸の内線で移動するのを幸いに、一度新高円寺のアパートに寄り、着替えてから近所のコインランドリーに洗濯物を放り込み、そのまま東京ムービーに向かう。帰路、新高円寺で途中下車し、コインランドリーで回収した洗濯物を部屋に干して、編集部に戻るというなかなかスリリングな綱渡り生活を続けたのである。この手の仕事をしていると不潔な人間は嫌われる。どんなにいい加減な身なりであっても、風呂に入らないライターは、いつか仕事が来なくなるものである。冬場はともかくとして、夏場になるとさっぱり仕事のなくなる、まんが画廊マネージャー江口俊真という偉大な反面教師を見ている我々は、毎日風呂に入り下着を替えるという人間として必要最低限度の行為だけは続けていたのである。
116ページの本を、10級の文字で埋めようという最初の設定には無理があったのだ。一般の人に説明するなら、何でもいいから雑誌を開いてみてもらえばいい。だいたいの本が12級のサイズである。本の片隅にノンブル(ページ数)が印刷されているはずだ。はい、その小さい字。それが10級なんですよ。写植は、これより小さいとインクと紙質によっては、読めなくなる。覚えていても、今後絶対に使わないであろう豆知識をひとつ。
写植文字は、間隔を詰めたり(詰め打ち)、レンズで上下を縮めたり(平体を掛ける)する特殊な方法もあるが、通常の文字はミリ単位となっている。
1級は0.25ミリの正方形だ。つまり4級の文字でたった1ミリ四方である。ちょっと大きい文字の見出しが2.5センチ四方の100級だ。
「アニメック6号は、絶対に本文12級にしような」
「小牧、譫言(うわごと)のように一日10回は言ってるな。俺も懲りたから大きくする」
この惨劇により、絶対に12級以下の本文は使うまいと決めた私だったが、今でもコラム記事を担当すると書きたい事が多すぎて、ちょいちょいデザイナーに無理を言って10級本文を使うことがある。この頃と違い今はデータ入稿が多いので、文字が飛び出してしまうとPCの操作で、平気で文字を小さくするのだ。ある意味便利な世の中になったものだ。
とにもかくにもかなりのマニアじゃなければ、これだけの活字は読むまいという凄い本ができあがるわけだが、製作途中に東京ムービー企画室から100冊の予約注文を入れていただいた。これくらい完璧な社史はないから、海外販売用のパンフ代わりにしたいというありがたい話しだった。(実際に、海外提携ではサンプルとして活躍したそうだ)
この本は表紙からして裏技の塊のような編集だった。放映直後というよりは、自分が好きだったので、ムービーの希望としてはルパンの表紙なのだが、あえて宝島のジョン・シルバーのセルを借りる事にした。が、原画セルがけっこう資料室に残っているのにもかかわらず、どうしても欲しいセルが存在しなかった。最終回、杉野照夫作画による10年後のシルバーのラストショットのハーモニー画面である。そんな大切な絵が捨てられる訳はない。ちなみにハーモニー画面というのは、テレビアニメでお馴染みのラストのヒトコマが止め絵になって、タッチがトレス線の一枚絵になるアレである。
こういった事情に詳しいかどうかが明暗を分ける物だ。これは資料室に出入りする絵のわかる女の子が放映後に貰っているはずだ。宇宙戦艦ヤマトの「火星に倒れたサーシャ」のセルだろうと、コンバトラーVの「苦悩するガルーダ」のセルだろうと、持っているのは関係者の女の子なのだ。すぐに持ち主を突き止めた私は、絶対に傷をつけないし確実に返却する約束をして、直接大日本に持ち込みポジ撮影に立ち会った。
「いや、いいなぁシルバー。これ表紙勿体ないからピンナップにしちゃおう」
「小牧の意見には賛成するが、表紙はどうするんだ?」
U杉の心配はもっともな事だ。そのあたりにぬかりはない。ピンナップを持っていた女の子の隣のロッカーの子が扉を開けた時に、私はカルトン(画稿を運ぶための紙製の鞄)をチラリと見たのである。
「ねぇ、あたなのセルも貸して下さいよ」
「えっ、どうしてそんな事知っているんですか?」
やっぱりである。持ってない方がおかしい。これがまたいかにも若山弦蔵って感じのジョン・シルバーがオウムを肩に乗せたあの名シーン。
(「宝島」は、名作です。未見の方は、ぜひDVDで見て頂きたい)
これも同じように借りてきていたのである。
「小牧、俺は賛成だ。だがな、宝島の主人公はジムだぞ。だいたいが、東京ムービー特集で表紙もピンナップもジョン・シルバーは、世間が許すと思うか?」
「世間が許さなくても、これでいいのだぁ」
丁度、『天才バカボン』の解説を書き終わった私は平然と答えたのである。少なくとも、どちらも好評でクレームは来なかったのだからいいではないか。厳密に言うと「シルバーのピンナップ素敵でした。できればグレーのカラー写真も欲しかったです」という主旨の手紙は山ほど来たのだが……。
ちなみに、グレーとは、設定段階では自閉症の海賊だけで名前も無かったが、だんだん頭角を現し、キャラクターが一人歩きを始めた脇役である。お姐さんたちに評判が良かった。
東京ムービーB館3階の資料室の榎本恒子女史には大変お世話になった。企画意図をきちんと理解して下さり、藤岡社長からトップダウンという形で、全部署の取材許可を頂いたので、当時としては画期的なスタジオ紹介も出来たのである。ここでも裏技炸裂で、まんが画廊時代からの知り合いで、テレコム(東京ムービーの藤岡豊社長が、海外合作に対応する必要から、系列のスタジオ「Aプロダクション」とは別にフル・アニメーションを描けるアニメーター育成用に1975年設立したスタジオ。現・テレコム・アニメーション)の研修生だったミルク・コーヒー(勿論仮名だし、今になっても明かせない)をこき使う事になる。内部の人間が毎日通っている会社の内部を漫画ルポするのだから、こんなに正確なスタジオ内部図解はないだろう。
あまりにも詳細な図解で、「スチールの汚い本棚」みたいな失礼とも言える凄い描写まであった。金庫室の金庫があまりにもリアルだったので、さすがにその部分は消したのだが、本人がそこに矢印を入れて「金庫のあった場所」まで書き込みしている。本が出て1ヵ月で東京ムービーの金庫が移動したのは、どうもこれが原因らしかった。どこの世界にスタジオ紹介のイラストに人の会社の金庫まで描く本があるだろうか。この記事が、後に定番となるスタジオ内部のアニメーター自らが描写した俯瞰図の走りと言えるだろう。だかしかし、会社の中をここまで細かく図解した物は未だに登場しない。自販機の位置もあり、福利厚生に優れたムービー社内では外で70円の缶コーラが50円で買えることまで描写してあったのだ。
ここまで協力して貰ったのだから、何かお返しをと考え、表2(表紙の裏)、表3(裏表紙の裏)、表4(裏表紙)に入る映画会社の広告をどれか貰えないかと営業と相談した。
「そうか。じゃあ表4、やるわ」
高橋営業部長の太っ腹ぶりに、広告価格50万円の裏表紙を差し上げる事になる。結局のところ表2には「銀河鉄道999」、表3には「指輪物語」(当時もあったんです、ロト・スコープを使ったリアルアニメーションの指輪物語が……)が入ることになった。
それを聞いた榎本女史が大喜びで、色々な案を出して来た。最終的には5×3の15枚の枡に東京ムービー全作品キャラを入れるという物に決定した。可哀想なのは美術の蘇我さんで、「あんた、コミカルキャラ描けるでしょ。一週間ほどでちゃっちゃっと描いて」という榎本女史の命令で、ただ働きをさせられた。なにしろ広告扱いなので、こちらからは原稿料を出さないのだから……。この結果、「アニメック」5号は、裏表紙だけを見たら「東京ムービー」のパンフレットという感じに仕上がったのである。