アニメックの頃… 著/小牧雅伸

第9回 「ガンダム劇場化決定」

 

アニメック16号表紙画像

1980年秋――。
一部のマニアにしか支持されないガンダムであったが、その密かなうねりは確実に巨大化していった。
こちらは、奇数月にアニメック、偶数月に記録全集を編集しているので、上の方でどのような話が進行していたのかは知らないでいた。実際に、『劇場版機動戦士ガンダム』に全面的に協力して欲しいと依頼されるのは9月の末であった。宣伝広報の野辺さんにこき使われるようになったのもそれと同時である。劇場のテロップには「渉外:野辺忠彦」としかクレジットされないが、我々の意識では、当時の宣伝プロデューサーが野辺さんであった。通常のプロモーション活動とは異なり、ファンの心意気を結集して宣伝に活用しようという意気込みは、納得のできるものであった。ファンにしてみれば、「利用されてやろう」というアクティブな感情である。劇場作品になれば、「低視聴率打ち切りのマイナーアニメ」という評価が覆されるという熱意の原動力になったのがこの人である。

もっとも、これには下地があった。宇宙戦艦ヤマトの再放送から劇場単館上映までの流れが、同じだった。たしかに手伝いはしたが、大枠が決まってからの物であり、早朝に西崎プロデューサーからの電話でたたき起こされ、徹夜行列で収拾のつかなくなっている池袋の劇場に、ロープを担いで行き整理にあたったというのもある意味では部外者だった。アニメーションの劇場作品による初の徹夜組の登場で、マスコミに認識され全国ロードショーに拡大されたとはいえ、そりは同時多発に行動したファンの行動力によるものだった。

ガンダムの劇場化、それの宣伝広報に最初から参加できるというのは、ちょっとした興奮があったのも事実だ。持てる知識と人脈をフルに使えば大きな波になるだろうという予感もあったのである。なにしろ野辺さんは、宇宙戦艦ヤマトの劇場宣伝プロデューサーでもあったのだ。ファンの好みは十分に熟知した人なのだから。

INSIDE COLUMN
  バックナンバー