未だに喪失感みたいなものがある

――― 『河童のクゥと夏休み』(※1)も、DVDがリリースされて一区切りつきましたね。

 そうですね、公開は去年の夏だったんですけど、ぼくの作業はもう2006年の年末にはほぼ終わっていたんです。その後ちょっとまた(フィルムを)切らざるをえない時期もあったんですけど、もうそこでその時点では現場はほぼ解散してたし。気が付くともう1年半経ってるんですよね。なんか本当に時間が経つのが早いんでびっくりしちゃってます。

――― 時間が経って、作品に対して冷静になれるようにはなったんでしょうか。

 いや、あんまりないですね。だから、未だに喪失感みたいなものはありますよね。自分の中にものすごく長い時間入っていたものを、作る時にそれを全部出そうと思ってやったわけですよ。だから後にポッカリ穴が空いたみたいな感覚はあります。やっぱりでもそういう気持ちにならないと駄目だと思うんですけどね。やっぱり監督するってことはそういうことだから。『クレヨンしんちゃん』の時もね、そういう気持ちはありました。終わってホッとする気持ちは一番大きいんですけど、その一方ではね。

――― 『クレヨンしんちゃん』の時と『クゥ』の時では、目指す作品のスタイルが異なっているように感じたのですが。

 いやいや、だからずっと『クゥ』みたいなものを作りたかったんですよ、僕はね。でも、実際にはなるべくその作品が求められている状況に合わせながら、自分の思っているものをそこに出していくというやり方をしてきたわけです。ずっと。もちろんそういう制約があるのは決して間違ってはいない。そこから生まれる面白さ、というのは必ずあるので。でも作る側としていつもストレスがあるのも事実。だから『クゥ』に関しては、そういうことは本当に一切考えないで作ろうと思っていたんです。とはいえ僕も商業作品の監督を長くやってきたから、身に付いた緩急の付け方とか、そういう部分は自然に任せるままに出ているとは思いますが。

――― そのあたりが『クゥ』の根幹をなしているわけですね。

 アニメに限らず映画全般にいえることなんですが、なんかこうあまりにも計算ずくで作ってるお話が多いような気がしてるんですよ。形を最初に決めちゃうっていうかな。この映画はこういうコンセプトでこういうターゲットの人に見せるからこういう形にしようみたいな。それが鼻についてすごく嫌だと思ってるんですよ、最近。

――― 相当に違和感があるんですね。


©臼井儀人/双葉社・シンエイ・テレビ朝日2001

 これはあちこちで話していることですが、『オトナ帝国』(※2)を作って僕は相当満足したんです。あんな映画を作れると思ってもいなかったから。でも、関係者っていうか、特に物語の形を決める権限を持つ人たち、プロデューサーといわれる人たちなんかは、なんだこれ? みたいな感じだったんですよね。でも公開されてみると、大人だけじゃなくて子供にも受け入れてもらえてると感じたんです。その時に僕は強く思ったんですよ。「俺たちがやっている、映画の形を先に決めるような作り方は必ずしも正しくない」って。僕自身、『オトナ帝国』を作りながら、いいものになりそうだとは思っていても、「これ、お客さんに見せられないよね」というような心配をしていたわけで。でも公開してみたら、そうじゃなかったってことはやっぱり、最初にお客さんを限定して出来上がりの形をあまりにも決めるような作り方は、きっと間違っているんだって。そういうのが、作品作りを順調に進めるために生まれてきた仕組みであることは分かってるんですけどね。でも、あまりにもとらわれ過ぎているんじゃないかなと思って。それ以来、それからはあまりそういうことを考えないように作りたいなと思うようになったんですね。

――― それはたとえば、原監督が好きだという木下恵介監督やデビッド・リーン監督からの影響というのもあったりするんでしょうか。

 いや、それとは関係ない自分の気付きですね。自分でいい気付きをしたなと思ってるんです。

――目から鱗が落ちたわけですね。

 あちこちで言ってるんですけど、みんな“病気”なんですよ。でも、周りもみんな“病気”だから、“病気”であることに気が付かないんだなと思って。俺は、そこに気づけたぞっていう。

一歩一歩立ち止まりながら

――― でもそれだと、気づいた結果、作品作りがより難しくなるんじゃないでしょうか。

 もちろん、外側から形を決めるんじゃない作り方をしようとしたら、やっぱりものすごく大変なんですよ。毎回そういう作り方をするってかなりしんどいことではあるんですよ。でも、やっぱり気づいてしまったから。もう今さら自分から進んで、“病気”にかかりたいとは思わないですよ。

原監督(左)と同席した茂木プロデューサー(右)。

――― もう元には戻れないという。

 戻りたくないというかね。

――― それでも、しんどい作り方を選ぶ、と。

 だから絵コンテを描いていても、いちいち引っかかることになるんですよね。これでいいんだろうかって。『クゥ』はシナリオなしで絵コンテで描いていったんですが、それは『しんちゃん』も同じではあったんです。ただ『しんちゃん』と違ったのは、僕にとって初対面のキャラクターたちだったんですよ。だから誰も彼らが動いている姿を見たことがない。『しんちゃん』であれば、セリフを描いた瞬間に矢島晶子さんの声が聞こえるんですけど、そういうことはまったくなく。どんな口調でしゃべるのかとかを考えながら書いていかないといけないんだと思ってね。その段になって「しまった、『しんちゃん』と同じじゃないぞ、これ」と思ってね(笑)。ホントに自分で考えるしかないというところから始まったんで、ほんとに一歩一歩立ち止まりながら、どっちがいいんだろうと考えるような。そんな作業でした。先が見えないんで、こういう作り方は、不安で不安でしょうがないんですけれど。

――― 絵コンテの執筆にはかなりの時間がかかっています。

 2年以上使っちゃいましたね。まあ、自分でもかかり過ぎと思いますね。普通なら映画ができあがっていてもおかしくない時間ですからね。

――― それは悩んだ結果、ということでしょうか。

 うーん、悩みながら作っていたのは確かだけど、2年間ずっと机に座って悩んでいたわけでもないんですよ。『クゥ』って長い間、公開の形がはっきりしなかったんですよ。誰が何をやって、誰がいくら出すんだ、みたいな部分がなかなか決まらなくて。でも、企画自体が成立していない段階から絵コンテはもう描いていたんで、なんかあんまりバリバリ描いても万が一ボツになったらなぁという気持ちもあって、ちょっとゆっくり歩いていた。なにもやっていない期間が何ヶ月もはさまったりはしてるんです。

――― 絵コンテ前に脚本で詰めよう、という考えはなかったんですか?

 いや、その気はなかったんです。これも終わっちゃったから言えることだけど、僕のずるいところで、脚本出したら多分いろいろ言われるなと思ったんです。それもあってプロットとパイロットフィルムだけで判断してもらおうとしたんだけれど、今にして思うと、ヒットの要素がないこの企画で、だから、なかなか企画が決まらなかったわけですが。

――― すると当時は、けっこうじれったかったんじゃないでしょうか。

 そういう気持ちはありましたよ。茂木(仁史、プロデューサー)は、ちゃんとやってんのか!? って(笑)。

茂木 (笑)。こちらも苦しい状況をそのまま監督に言うわけにはいかないんで「来週には決まるから」「ちょっと伸びたけど来月にはゴーが出るから」っていう感じで話してましたからね。

――― 絵コンテ作業のほうにちょっと話を戻したいんですが、外側から形を決めるのではないとすると、原監督自身は『クゥ』の“映画らしさ”をどこに求めようとしていたんですか。

 いやだからその“映画らしさ”っていうのが、既に病気の見方なんだよ、って思うんですよ。昔の映画を見ると、作風や内容に関してもっと自由なんですよ。映像作品って最近のものほど狭まっているんです。だから『クゥ』を作っている時は、昔の映画を見たりして勇気づけられました。「これでいいじゃん、全然」とかね。

――― すると、それはどんな作品なんですか。

 作品でやっぱり一番影響を受けたのは木下恵介なんですよ、僕は。

不安でもきっと観客には届くはず

――― 原監督の映画体験を教えてください。

 もともとはテレビの洋画劇場経由でアメリカンニューシネマとかを見たのが映画体験の原点で、わりと洋画中心に見てたんですけど、そのうちジョージ・ルーカスやフランシス・F・コッポラといった人たちが黒澤を評価していることを知って、オールナイトでいろいろとおっかけるようになって、その過程で木下恵介や小津安二郎を知ったんです。中でも、木下作品はすごく面白くて、肌に合ったんですね。そこからまた今度は木下恵介の方に興味を広げていったんですが、やっぱり昔の良くできた映画を見ると、なんか新しく作られている映画が幼稚に思えてくるんですよ。形は派手だけど空洞というか、芯がないっていうか。それでこういうのを作らないと駄目だと思うようになったんです。

――― 木下作品の中で一番好きだったりインパクトを受けたのは、どの作品になりますか?

 うーん、1本というのは難しいんですけどね。でもインパクトっていうと『永遠の人』(※3)という映画は驚きました。

――― どういう映画なんでしょうか。

 すごく残酷な話で、全然楽しくない映画なんです。高峰秀子と佐田啓二が結婚の約束をしているんだけれど、仲代達矢に手込めにされて泣く泣く嫁になるんですよ。それから子供ができても夫婦はずっといがみ合っていて。そんな人たちの長年にわたる人間模様が、非常に切れ味鋭く残酷に描かれている映画なんです。それで舞台が、阿蘇山が見える広い景色の中の田舎が舞台なんですけど、そこにフラメンコギターを使った義太夫みたいな語りが重ねられるんですよ。「昔、女がいたばってん」みたいな。そういうのを見ると、やはり驚きますよね。まあ、木下恵介がそういう大胆なことができる環境にいたのも間違いないことですが。当時はものすごいヒット監督でしたから。あと驚くのは、作品の幅がものすごく広いんですよ。コメディーも作れるし。一方でそれが黒澤監督みたいになってない理由かもしれませんが。

――― 『カルメン故郷に帰る』とかありますからね。

 そう、だからそういうのが作れるというのも、驚きなんですよ。そういう幅の広さは、僕には絶対無理だなと思っているんですけれど。

――― 世間では『二十四の瞳』『喜びや悲しみも幾年月』のイメージが強いですよね。

 アクションは撮ってないんですよね。それと、木下監督の作品はやっぱり時代性がものすごく出ているんでね、今見ると古く感じるものはやっぱすごくあるんですよ。『二十四の瞳』も今見ても泣ける映画ですけど、リアルタイムで見た人の話を聞くと当時の劇場の雰囲気はそんなもんじゃなかったそうです。劇場中がもう号泣してるみたいな。劇中の人物と観客が同じ戦争体験を共有しているわけですから。そりゃそうだろうと思いましたね。……多分、自分がおかしいと思ったり頭にきたりしたことを、映画っていう形にちゃんと作れる人で、それがやっぱり同じ時代の同じように思ってる人たちにきちんと受け入れてもらえてたっていう関係ができてたと思うんですよ。

――― 木下監督から具体的に影響を受けた部分というのはありますか?



©2007 木暮正夫/『河童のクゥと夏休み』製作委員会

 影響というと違うかもしれませんが、木下監督の作品はカメラがすごくいいんですよ、本当に。ロケ地とかも随分こだわってるらしいですし。景色の中でドラマを描くのが、やっぱりすごくうまいなと思って、そのへんも見習いたいなと思っていますよね。もちろん、ぼくらは子供向けのアニメをずっと作ってましたから、いきなりそういう影響を作品に出すっていうわけにはいかなかったわけですけど、なんかでもそれにしても、あまりに幼稚な演出が多くないかって思っていたんですよ、初めのころから。そのへんから、誰もが分かるような面白さを目指すことはなるべくしたくないとなっていったんですね。……きっと『クゥ』をシナリオにしたら、みんな首を傾げると思うんですよ。「何さこれ、どこがヤマなの?」とかね。想像がつくんですよ。「あの東京タワーのシーンをもっと派手にしよう、そこで終わりにしたほうがいいんじゃないか」って言われるだろうなとか。

――― ありそうですよね。

 でも、『クゥ』に関してはそんなものは絶対作りたくなかったんで、ぼくは。でも一方でやっぱり不安なわけですよ、偉い人たちが「なんじゃこれ?」って思われても、きっとお客さんには届くに違いない。そうは言っても、不安で不安でしょうがない。そういう自分を支えてるのが、やっぱり今いったような木下恵介監督の映画だったり、あるいは小津安二郎監督の映画たちなんですよ。大丈夫、きっと大丈夫だって。だから、映画化するまでの長い時間の中で思いついたいろんなアイデアをなじませて一つの物語に寄り合わせていくときも、楽だし盛り上がりそうだなという方法は止めて、意図的にエンタテインメント色をそぎ落としました。もっと地味にしたんです。これをやったら、また病気にかかっちゃうよって。

――― 『クゥ』を見てただごとではないと思ったのが、家族でテレビ局に行く場面です。クゥはとても不安なのに、康一はちょっとウキウキしているんですね。そういう細かな場面やそこに潜んでいる微妙なものを積極的に描き出すのが、エンタテインメントとは違う『クゥ』の狙いなのかな、と思ったのですが。

 多分、普通のいい子のアニメであのシーンを描くところを想像すると、康一君はすごくクゥのことを思いやって、安心させたり、優しい言葉をかけたりすることになると思うんですよ。でも、ぼくはやっぱりそれはやりたくなかった。それよりもやっぱりテレビ局に行けて、テレビに出られてという、なんか俗っぽい誇らしさみたいなのが多分勝っちゃうんじゃないかなということにしたんですよ。そういうリアリティっていうのは今回、本当に大事にしたつもりなんですけど。お客さんを安心させたり、ふつうに盛り上げたりすることじゃなくてね。だから1回見て、ああ、面白かったって言って、家に帰る頃には何を見たか忘れちゃってるようなものには絶対したくないと思ったんですよ。忘れさせてなるものかっていう気持ちは相当ありましたね。

原恵一(はら・けいいち)

1959年生まれ。1982年、シンエイ動画に入社し、TVシリーズの各話演出を経て、『エスパー魔美』(1987)で監督に。同作の劇場版『エスパー魔美 星空のダンシングドール』(1988)が初劇場監督作品となる。1992年の放送開始から『クレヨンしんちゃん』に関わり、1996年より監督。1997年から2002年まで6本の劇場版『クレヨンしんちゃん』を監督する。現在はフリー。

※1 河童のクゥと夏休み

木暮正夫の児童文学『かっぱ大さわぎ』『かっぱびっくり旅』を原作をとして、原恵一監督がアニメーション映画化した作品。原監督は原作を読んで以来、20年間にわたって、この作品のアニメ化を切望してきたという。2007年7月劇場公開。
■公式サイト

※2 オトナ帝国

『クレヨンしんちゃん』の映画シリーズ第9作『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』。2001年4月公開。原監督にとっては5本目の劇場版『クレヨンしんちゃん』。大人たちをノスタルジーの世界の虜にし未来を放棄させようとする、秘密結社「イエスタデイ・ワンスモア」の野望とその顛末を描く。『クレヨンしんちゃん』の枠を超えて、広く人気を集め、高い評価を得た。

 

【DVD】映画クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲

BCBA-1407/\3,990 (税込)/バンダイビジュアル(販売元)
2002.11.25発売

■クレヨンしんちゃんDVDサイト

※3 永遠の人

1961年、木下恵介監督。木下恵介は脚本もがけ、コンビの楠田浩之が撮影した。さだ子(高峰秀子)と平兵衛(仲代達矢)という無理矢理結ばれた夫婦を軸に、昭和初期から戦後まで30年間にわたって繰り広げられる愛憎劇。

【DVD】河童のクゥと夏休み コレクターズBOX

ANZB-2801/\5,775(税込)/アニプレックス
2008.05.28発売
■アニプレックス作品サイト

 

【DVD】河童のクゥと夏休み

ANSB-2801/\3,990(税込)/アニプレックス
2008.05.28発売