成田亨と特撮美術

撮影/沢海 厚

第1回
特撮とは何か?

浜松駅付近を設定して作られたミニチュアセット。後方のビル街は、精密なパース計算を行い、切り抜いた写真を建て込んでいる。(『新幹線大爆破』)

自分が何なのか、今、何をしようとしていて、何をすればいいのか? こんな疑問は始終私を襲います。そしてこれが私が混乱した時に何時も帰る原点です。

高校生の頃私は阿部合成という人に絵を習いました。阿部先生は青森市長をした人の息子でしたが二科展に出品した絵が反戦絵画だとの評価を受けて戦争にかり出され、シベリヤ抑留から帰ったばかりの頃で、それは巌寒の雪道でした。すさまじい迫カに充ちた画家でした。私と今井君の二人は学校からブルータスの石膏像を梃に積んで阿部先生の家へ運び、毎日の様に学校の帰りデッサンの勉強に通いました、戦後間もない食べる物もない頃の話です。私も画家になりたいと思っていましたが夢とか理想とか、そんな事を考えるのが夢だといった時代でした。

ある日二人の男が私達がデッサンをしている部屋に入って来て、このブルータスはシーザーを斬る為の刀を抜く前か、斬り終った後かで口論をしているのです。あげくの果てにデッサンはいいから明日油絵をもってこいというのです。次の日私達は自信作を一枚づつもって阿部先生の家へ行きました。二人の男はこんな混迷の時代に絵を描こうとする私達を激励してくれました。私には「君はロマンチストだから、日本の浪漫の為に命かけてがんばってくれ。」と言われました。

この二人の男は詩人の山岸外史と太宰治でした。そして阿部先生の絵の教育は「描きたいものを描け、絵を作る技術など要らない、描きたいものを追いつづけろ。」といった厳しさでした。この三人の大人が私に教えてくれた事は、ホンモノとは何か? を常に問い続けて、ホンモノの人間になれ。という事でした。

私は一生この日の事を忘れる事ができません。だから混乱して自分を失ったり、調子に乗って勢いづいたりしていた時、原点に帰ります。

1960年、私は東宝特撮を飛び出して、東映特撮へ行きました。待望の特撮美術監督としてです。ここでは自分の仕事が出来る筈だと思い大いに張り切っていました。丁度30才でした。

東宝では円谷英二監督と渡辺明さんのいうことを聞いていればいいのですが、ここでは違います。作品毎にいろんな監督、カメラマン、デザイナーと打ち合わせです。それが全部カラーが違うのですが一貫しているのは、特撮不信です。特撮にはリアリズムがないと言うのです。特撮はオモチャ遊びだ、と言う人までいました。私は円谷特撮の概念を離れて特撮の原点をさがしました。

特撮とは映画製作の過程で、どうしてもこんなカットが必要なのだが本編では撮影不可能だから特撮が撮る。これが原点です。僅か一カットの場合もあるし100カットを越す場合もありますが、本編の間に編集されて完全に映画として、つながっている事が条件です。つまり完全にリアルでなければなりません。

リアルに足りないのもいけないし、リアルを越えているのもいけないのです。

これを映画の為の特撮、と呼んでみましょう。

これに相対するのが特撮の為の映画です。こちらの場合は、リアルに足りないままにリアルを越えようとしている場合が多いのです。

ミニチュアの新幹線ひかり109号

それでは特撮のリアリズムとは何でしょうか。例えば一軒の家を写真で撮ると、それはリアルです。同じ家を画家が写真の様に描くとそれはリアルでありません。魂が抜けた、なきがらの様な絵になります。主観が入っていないからです。画家は自分の主観を表現する為に一軒の家を素材にしてキャンヴァスの上で再構成しているのです。それは絵の話、映画はそうはいかない。そうでしょうか?

映画も画面である事は同じです。画面のリアリズムを求める為には自然の何分の一のミニチュアー化だけでなくて、自然の再構築が必要なのです。例えば本編で撮影不可能なヒロガリを出そうと思ったら、ミニチュアーに遠近法をつければ無限にひろがるのです。この遠近法セットについては又書く事として、特撮セットもリアルである為には、ある街をただ何分の一かに縮めた縮尺セットでは、その街の生活感が出ないのです。画面の中に、その街をどうとらえるかが間題なのです。つまり出来たセットをカメラマンがどう撮るかではなくこう撮りたいからこんなセットを作ろう、という姿勢がリアリズムに近づく姿勢だと思います。コンテが凡てなのです。

東映では私は約40本位、映画の為の特撮をやりました。最初驚いたのは「殴り込み艦隊」です。予算の割にやる事が多く、木村省吾氏の発案でスチール写真をのばした軍艦を作り、その写真を手前にして奥からミニチュアーのO戦を飛ばしました。それなりのリアル感がありました。こんな手もあったのか、と私は学びました。

「新幹線大爆破」では私はこの手を使いました。これは長さ100メートル位の奥が高く手前が低い大オープンセットでした。撮影は殆んどレールの間から撮るコンテですが、レールの防音壁の外は浜松の町です。レールと手前の何軒かと浜松の駅だけを丁寧にミニチュアーセットを作って、浜松の町はスチール、カメラマンが一軒づつ撮って来てくれたビルを私の計算の通りに一軒づつ白黒写真で焼いてこれを切り出しにして立てて、必要な所だけ油絵の具で着色しました。リアルな浜松の街が出来ました。ミニチュアを作ったらこんなにリアルにならなかったでしょうしその必要もありません。コンテがきまっているからです。

更にこれはシュノーケルという新しいカメラで撮ったのが良かったのです。シュノーケルというのはマッチ箱位のカメラです。新幹線は正面が15センチ幅の高さ18センチ、20分の1のミニチュアーでした。シュノーケルだからこの小さいミニチュアーよりも更に低い位置から撮れるので迫力が出るのです。普通のカメラはどんなに低くかがんでもこの、ミニチュアーより高いから見おろした感じになって、迫る力が欠けるのです。

(初出:「模型情報」85年6月号)

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