第3回 ゴジラがこわしたビル

【 解説 】

日本の特撮美術を切り拓いたのは、彫刻家の卵たちだった。成田を『ゴジラ』(1954年11月公開)の現場へと導くことになる富樫一(本名:美津男/1930〜82)は、1961年の第1回ユーゴ国際彫刻家シンポジウム石彫部門で第2位に入賞して以来、内外で活躍した人物だ。リアルに壊れる建物の造り方のノウハウなど存在しない時代、東宝の特撮美術監督は、成田ら研究熱心な美大出身の若手スタッフにお任せの状態で、円谷英二特技監督は完成したセットを見てから撮り方を決めたという。怪獣造型にもプロなど存在しなかったが、こちらには問題があったようだ。24歳の成田は、初めて怪獣の着ぐるみを目の当たりにして違和感を覚え、実際に被ってみて、「これは素人が作ったものだ、構造がない」と感じたという。人体や動物の構造を学んできた成田には、ゴジラは表面的で生命感なき人形のような造型に思えたのだ。ブールデル(第2回・解説参照)仕込みの構造的な捉え方が頭をもたげたのだろう。さて、第1作の未曾有のヒットを受け、まもなく制作に入った『ゴジラの逆襲』(1955年4月公開)では、建物の構造を本格的に追究した。その結果、ひねりを加わえながら壁が粉々になり、ドラマティックに倒れゆく画を思い描き、土台を残したまま上方だけが壊れる画期的なテクニックを編み出す。もっとも、本稿では触れられていないが、大阪市庁正面の壁は、飾り物をリアルに取り付けた結果、頑丈になってしまい、砕けないまま倒れてしまったという。2003年に青森県で開催された企画展「成田亨が残したもの」におけるシンポジウムで、監督・特技監督の樋口真嗣は、この「模型情報」の連載で成田が明かした特撮の種明かしこそが自らの特撮の原点になっているとし、「成田さんの手法、つまり現実そのままに再現するのではなく、最終的にカットの中でそうなってほしいかというところから逆算していくというアプローチには、ものすごく感動しました」と語っている。

(清水 節)

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