成田の映画美術は、“資料探し”によってリアリティを向上させていたという側面を窺い知ることができるエピソードである。成田は常日頃、書店や古書店で資料を買い込んでは、切り抜いてスクラップブックに整理しており、その数は膨大だった。リアリティのもうひとつの秘訣は、“聞き込み”。零戦こと零式艦上戦闘機52型を描くにあたり、貴重なアドバイスを与えてくれた2人の重要人物に関し、説明を加えておこう。まず、文中の直井欣也の正確な表記は、「直居欽哉」。学徒航空兵の手記を脚色した『雲ながるる果てに』(1953/監督:家城巳代治)でブレイクした脚本家であった直居が、テレビ番組として企画した戦記アクションが『ゼロファイター』(1964)だった。特撮の見せ場のひとつは、直居直伝の空中戦法。とりわけ「捻り込み」と呼ばれる、宙返りと緩横転(スローロール)を併用した必殺技は難しく、操演技術は困難を極めたという。直居は、神風特攻隊を敵機から守りつつ戦場へ送り届ける護衛部隊、直掩隊の隊員だった経験を生かし、直掩隊指揮官と特攻隊司令官の友情を中心に描いた『最後の特攻隊』(1970/監督:佐藤純彌)の脚本も担当。東宝中心に語られがちな特撮史からは抜け落ちることが多いが、東映作品『最後の特攻隊』の米軍グラマン機との空中戦のレベルの高さは特筆に値する。もうひとりの重要人物は、坂井三郎。九七艦攻こと九七式艦上攻撃機の内部構造について聞くため、成田が「駒形どぜう」に会いに行った坂井は、零戦で200回以上の空中戦を繰り広げ、敵機64機を撃墜し、戦死した部下を1人も出さなかった男だ。戦後、出版された「坂井三郎空戦記録」は英訳され、“最も多くの連合国軍機を撃墜したゼロファイターの撃墜王”として、坂井は海外にもその名を轟かせた。同書は、『大空のサムライ』(1976/監督:丸山誠治)として映画化され、坂井役は藤岡弘によって演じられた。
(清水 節)