成田亨と特撮美術

撮影/沢海 厚

第6回
トラック野郎のミニチュアー

1976年頃私は東映のトラック野郎の特撮を4作品やりました。桃次郎のトラックが渡り切った瞬間に吊り橋が落ちたり、崩れそうな崖の上で桃次郎車がやっと脱出した途端に崖が落ちるといった特撮です。遂にはU・F・0まで登場して宇宙空間でのデッドヒートなどありました。崖から落ちるトラックはそれ以前、東映に第2東映、ニュー東映が出来た頃さんざんやっていました。「飛ばせ特急便」「別嬢さんに気をつけろ」「一心太助」「次郎長社長と石松社員」などがそれです。

その頃から私はトラックの特撮ミニチュアーは5分の1ときめていました。つまり3尺もの(90センチ)です。トラックの特撮があんまり続くので周囲の人達からは玩具のトラックを買って来て、セットも小さくして撮ろうじゃないかと言った声も出ました。これはエライ事です。特撮美術の危機です。私は次の様に反論して切り抜けました。「玩具の45センチ位のトラックは約10分の1です。実際のトラックが5メートルとして、50メートルの崖を10秒で落下します。10分の1なので私が作る崖は5メートルです。これを50センチ弱のトラックは1秒で落下します。それをハイスピード・キャメラで4.5倍で撮りますから出来たフイルムは4.5秒です。実際のトラックの半分以下です。だから10倍にスピードが上るキャメラを持って来て下さい。そしたら玩具を改造して撮りましょう。」

その頃のハイスピード・ミッチェルは4.5倍までしかスピードが上らない事に着眼しての必死の逃げ口上です。でも私は意地になって5分の1を守りたかったからではありません。

崖に植える樹、草、川の流れなどを考えると5分の1が最適だと思っていたからです。

さてトラック野郎です。模型屋さんに撮りなれた3尺ものを発注して図面を引いてみたらこれが10分の1なのです。何年かの間にトラックが大きくなってしまって3尺ものが10分の1になってしまったのです。5分の1にして6尺もの1800ミリのものを作ると、大きすぎて、そのトラックを落下させるような大ステージはありません。ステージの高さは大体8メートルが限度です。それでこの「トラック野郎」から10分の1ミニチュアーへの挑戦が初まるのです。

奥多摩ヘロケハンをして本編を撮った吊り橋を見て、その10分の1の吊り橋を作り始めました。橋の巾は35センチメートル、橋の長さは8メートル位のものでした。橋の横板の下に太い角材が縦に2本通っているのに目をつけ、その角材のかわりに私は15ミリ角の角パイプを通しました。そしてこの角パイプを15センチ間隔に切断してもらって、その中に細いワイヤーを通しました。つまり橋は角パイプの中のワイヤーだけでもっていて、一見頑丈そうな角パイプはズタズタなのです。橋の横板は乗っているだけのものですし、吊り橋を吊っているワイヤーはただの飾りです。桃次郎のトラックはイルミネーションが多いので豆球、麦球をいっぱいつけた車体はバッテリーでズシリと重いのです。その重いトラックが2本のワイヤーだけで支えられた橋を渡るのです。吊り橋は見事に動きました。いかにも重さに耐えられない様に弱々しくそしてけなげに動くのです。バンザイでした。あとはベテランの操演が向う岸に辿りついた所で、橋を落してくれればいいのです。バンザイです。山は殆んどひむろ杉で形を作って、カナラ前にだけアジヤンタムを置きました。アジヤンタムは非常に葉の小さい鉢ものです。葉は小さいし葉の色も美しい緑なのですが全体の形はいかにも小鉢といった感じがするので別の木の幹にアジヤンタムを切って付ける必要があります。そうしないと大木には見えません。また非常にデリケートな葉なのでガンガン当るステージのライトで枯れてしまいます。だから本番前に持ってきてソッと置くのです。一番目立つ所には盆栽を置くのですが、これは一鉢何万円もするので数に限度があります。こういう時が一番辛いのです。

さて「未知との遭遇」桃次郎編です。道路の彼方が光るとか、あやしい雲が垂れこめるといったカットは多分「未知との遭遇」もこうして撮っているのだろうと推測して撮りました。U・F・Oは6尺もの(180センチ)、3尺もの(90センチ)、1尺5寸もの(45センチ)の3種類ぐらい作ったように思います。

これは模型屋さんではなく造型屋さんにF・R・Pで抜いてもらいました。6尺ものの中に光が回転するメカを入れて吊るともの凄く重くなったのを憶えています。U・F・Oのデザインは誰が見ても直ぐU・F・0と判る形にしました。アダムスキー型そのままと言う訳にはいきませんので少し変えましたが、ナリタ新メカデザインという意識を全く捨てました。作品の性格によってそれは対応すべきだと思ったからです。又東映からこの映画製作に協力してくれているトラック野郎のグループに余り特撮を使っていると大声で言いたくないので…と言った依頼もあってタイトルに特撮と出すのも遠慮しました。

丁度その頃の私はヤナセのディスプレイデザイナーをしていて、東京は帝国ホテル、大阪はロイヤルホテルで新車の展示の会場造りをしたり、モーターショーや外車ショーで忙がしかった頃でした。今日はキャデラックにベンツ、明日は桃次郎といった2年間でした。外車ショーでランボルギーニ・カウンタックを見て、ポインターを作るにしてもこの位の車を改造したいなあとよだれを流しました。

(初出:「模型情報」85年3月号)

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