
撮影/沢海 厚
第21回

私がウルトラマンやウルトラ怪獣のデザインをしてから、もう20年たちました。
ウルトラから手を引いてディスプレィのデザインを主にしていました。もちろん映画を続けるつもりでしたが、一度自分が生きる場所を変えてみたかったのと彫刻を創る時間を取りたかったからです。ウルトラの4年間は文字通り眠るひまもなく休日もなく、所属する新製作展へ出展する彫刻を創る時間は全くなかったからです。その4年の空白を取り戻すことに懸命でした。映画は1年に1本ぐらいしかやりませんでした。「戦争と人間」、「永雪の門」「新幹線大爆破」などでした。
ウルトラマンを本や雑誌に掲載する時、"デザイン・成田"と明示する約束でしたが、いつの間にかそれは消されており、私の知らない間にウルトラマンに線が増えたり角が生えたりオッパイが突き出たりしました。そして、私は住居不明だったそうです。
"まぼろしのデザイナー"と若い人たちはいっていたそうです。
その若い人たちが、やっと私の住所を見つけてたずねてくれたのは10数年たってからです。
ウルトラ以後、たくさんの怪獣が現われては消えて行ったけれども、ついに私のデザインを超えるものが出なかったばかりか、どんどんひどくなって行くばかりだ…といってくれたのです。これは私への最大の讃辞でした。私は生きることは素晴らしいと思い直すのでした。
この若い人たちの努力で画集も出版されて、さらに若い人たちとの交流が広がりました。そして聞かれるのは、怪獣デザイン発想の秘密です。
私はとまどうのです。秘密などないから答えようがないのです。しかし、あえていえば、これかも知れないという部分もあるので、それを書くことにいたします。
私は何かをやらねばならない時には必ず『根本』というものを考えます。例えば絵を一枚描く時は初動、――エモーション(最初の感動)を大切にします。私の絵は長くかかるので毎日描いている間にエモーションを忘れていって別の絵を描いている時があります。それは構成的にも技術的にもぐんぐん良くなっていてもエモーションを失った絵は止まっています。私の絵は私のエモーションを具体化するためだけに描くのであって、絵画の常識にへつらったり、展覧会に並べて人に讃められるのを期待して描くのではないからです。
エモーションの形を追いつづけるのです。それが作家の精神です。芸術というのは、このエモーションを追いつづける無償の行為だと私は思っています。
残念ですが画家や彫刻家は生活ができません。だから生活の場を求めて芸術ではない芸術的な仕事をします、デザイナーは芸術家ではありません。芸術的な職業です。それは自分のエモーションで描くのではなく、ある企画の意図を満たすために描き、描けばいくらの報酬が約束されているからです。
デザイナーとして怪獣デザインをします。怪獣に自分のエモーションが湧いたわけではありません。しかし問い続ける作家の精神は同じです。
怪獣とは何だ、と考えます。怪獣とはこんなものだという今までの常識を全部、捨てます。
そして怪獣への自分の解答を見つけたら、今度は俺がやらねばならない怪獣とは何かを問うのです。
初期ヨーロッパの怪獣は人間の願望の形態化でした、エジプト王ホルスは鷲の頭をかぶって自ら神でもありました。
ギリシャ神話に出てくるたくさんの怪獣はコスモス(秩序)とカオス(混沌)に分けることができても人間の理想を形にしていることは同じです。
中世となると宗教的な考え方から怪獣はすべて悪になります。神・キリストだけを善とすると、人間と動物は善にも向うことができるし悪へも向うから悪の典型を怪獣にしたのです。そして最大の悪は怪獣的人間――悪魔なのです。
それらの怪獣のパターンは次の様に分けられます。
1.人間と動物の部分の一体化。
2.動物と動物の部分の一体化。
3.首が2つとか7つとかの奇型化。
4.死骸化
5.妖怪化
です。
次に自分がやらなければならない怪獣デザインとは何かを追うのです。私がやらねばならないのはテレビの子供番組の怪獣デザインです。子供がこわがり過ぎてはいけないし、また、お母さんにスイッチを切られても困ります。
そこで過去の人類の怪獣デザインの考え方の中から肯定できるものだけを選びます。すると週一回のテレビ番組の発想としては面白くないのに気づきます。
ついこの前まで怪獣の代名詞だった「ゴジラ」や「ガメラ」も特撮映画として肯定できるのであって、怪獣デザインとしては既存の動物が大きくなっただけで、この発想はテレビ番組には耐えられません。それにウルトラ怪獣には宇宙から来るという未知の課題がありました。それに挑むのは面白い怖れ――意外性しかありません。しかも単純な意外性を形にするには抽象化しかないと私は思ったのです。
画家や彫刻家によって抽象のとらえ方は違いますが一言でいえば自分が必要だと思う形だけを引き出して要らない部分を捨てることです。何を必要として何を要らないとするかはその人の形への感性の問題で答えることは不可能です。その感性は形への自間自答の修練からしかつかめないものです。
これが私のウルトラ怪獣デザインの秘密の解答です。解答になったかどうかは判りませんが、これ以上書きようがありません。
若い人たちがいうように、私以後によい怪獣が生まれていないとしたらそのデザイナーたちは、怪獣の中で怪獣を考えようとするからかも知れません。アメリカのある怪獣みたいなとか、あの怪獣的なとかの考え方から絶対に新しいデザインは生まれません。新しいデザインは必ず単純な形をしています。人間は考えることができなくなると、モノを複雑にして惰落していくのです。私の後のデザイナーたちはウルトラのころの私のアシスタントだった人たちで美校デザイン科出身の人たちでよく働く性格のよい人たちでした。
これからでも遅くないから頑張ってくれと願うと同時に、次の、その次の世代の若い人たちにも宇宙時代の怪獣デザインの出現を期待します。重ねて書きますが、よいデザインを創る条件は、
・根底から問題を問い直すこと。
・形に対して、きびしく自分を問うこと。
です。デザイナーではなく作家の精神をもつことです。そして一人で考え、一人で描くことです。たくさんの人が集って相談するとデザインは必ず、くだらないものになります。そして、これがよいと思ったら強引に押し通すことです。
現在は映画は芸術ではありません。極めて芸術性の高い商品です。時には絵画・音楽・文芸などよりも強烈に人の心を打つ芸術性をもっていますが、根底は商品です。
高い芸術性を発揮して人を感動させうるのは、スタッフの芸術精神でしかありません。
プロダクションは商人です。商人の顔色をうかがい、へつらっているスタッフは商人の下僕です。そのようなデザイナーは芸術性を持ったデザイナーでないばかりか、デザイン屋と呼ぶべきでしょう。
芸術性の高い作品が人を感動させ、人が見る。だから商人も利益を上げる。これが根本です。
特に子供向けの映画を作る時には、ジャリモノといってスタッフが自ら価値を低く見る傾向があります。これが根本からの間違いです。子供向けだからこそ全カで製作すべきであることを最後につけ加えます。
(初出:「B-CLUB」12 [86年10月号])