『ビジュアル・フューチャリスト シド・ミード その創造と秘密』

シドニー・ジェイ・ミード [SYDNEY JAY MEAD]

撮影/田島照久

工業デザインの世界でシド・ミードの名前を知らない者はほとんどいないだろう。インダストリアルデザインの父と呼ばれたレイモンド・ローウィもその実力を認めた、まさに天才的なデザイナーだ。
その守備範囲は驚くほど広く、カーデザインを皮切りにジェット機の内装から新型ヨットのコンセプトデザイン、パビリオンや諸施設の建築デザインに家電製品と、まさに対象を選ばずに辣腕を発揮している。彼の独創的かつ実用的なデザインには世界中に多くのファンがおり、プロデザイナーやアーティストの間ではすでに伝説的な存在とすら言える。

また彼は、その稀有な才能を使って多くの映像作品にデザインを提供してきた。映画『スタートレック』『ブレードランナー』『トロン』『ショートサーキット』『エイリアン2』『2010年』から近作の『ザ・コア』『ストレンジデイズ』まで、さまざまな未来世界のビジュアルを生み出し、アニメ『ターンエーガンダム』のモビルスーツデザインでは日本のファンに未曾有の衝撃を与えている。

彼の肩書きは「ビジュアル・フューチャリスト」。それは、メカや建物だけに限らず「未来世界そのもの」をまるごとデザインしてしまう彼ならではの呼称だ。一流の工業デザイナーである彼の作品には、常にロジックの裏打ちがある。メカなら表面素材から駆動システム、操縦体系までを想定する。建築物なら外観のみならず建材の種類や人の流れ、機材の配置までを念頭においてある。彼が描く未来は、常に実現の可能性を内包しているのだ。

彼の描く未来の絵やデザインは、SFファンのみならずエンジニアや工業デザイナー、イラストレーターと幅広い層の人たちに支持され続けている。それは彼の作品が常に、綿密な計算と卓越した表現技法、そして何よりもセンス・オブ・ワンダーにあふれているからなのだ。

略年表

1933年
アメリカ合衆国ミネソタ州の州都セントポール(ST. PAUL)に生まれる。
父親のKenneth Ray Meadと母のMargaret Ann Stover Meadはプロテスタント教派バプテスト教会の牧師。
1952年
高校を卒業、アレキサンダーフィルム(Alexander Film Co)に就職、アニメーション作品のキャラクターや背景を担当する。
1953年
陸軍入隊。54年から除隊まで沖縄に配置となる。
1956年
陸軍除隊。ロスアンゼルス(Los Angeles)に移り、アートセンタースクール(Art Center School)(※1)に入学。1959年に優秀な成績で卒業すると同時にフォードモータース株式会社の先進スタイリングセンター(Ford Motor Company's Advanced Styling Center)に就職、ミシガン州デトロイト(Detroit)に移る。
1961年
フォードモータース退職。レイモンド・ローウィ氏(Raymond Loewy)(※2)からニューヨーク事務所に誘われるが、すでにシカゴ(Chicago)のハンセン社(Hansen Co.)での仕事が決まっていたために辞退。同年、U.S.スチール社(U.S. Steel) とセルコン社(Celcon)からブックレットの仕事を受注し、イラストからレイアウトデザインまでをひとりでこなす。その完成度の高さから、業界内で一躍注目を浴びる。
1965年
ハンセン社を退職し、インターグラフ社(Intergraph)に参加。
1968年
インターグラフ社を退職。フォードの元幹部社員とともに新会社を立ち上げる。
1970年
個人会社SYD MEAD INC.を立ち上げ、以後はこの会社に専念する。立ち上げ時にはフィリップス社(Philips C.I.D.C.)やレイモンド・ローウィ氏から仕事を受注する。
1975年
19年間住んだデトロイトを離れてカリフォルニア州ロスアンゼルスに移る。
1976年
初の画集『Sentinel』発売。
1978年
映画『StarTrek』でヴィジャー(Vyager)のデザイン作業。
1980年
映画『BLADE RUNNER』『TRON』でデザイン作業。
1983年
映画『2010』デザイン作業。オマーン国王の専用ジェットB747の内装デザインを受注。
1985年
映画『Aliens』『SHORT CIRCUIT』デザイン作業。東京銀座で二度目の個展を開催。講談社より画集『OBLAGON』発売。
1986年
父Kenneth Ray Mead死去。
1988年
NHKプロダクションとBoss Filmの依頼で、映画『SOLAR CRISIS』のデザイン作業。
1989年
電通の依頼でパビリオン「Spaceship 2O56」をデザイン。
1990年
シンガポールの海洋都市「Ultrapolis 2OOO」計画のデザイン作業。東京のテピアホールにて個展開催。
1991年
バンダイ出版より画集・スケッチ集・作業風景の映像記録を1セットにした作品集『KRONOLOG』発売。ユーロディズニーのアトラクション「ジュール・ベルヌのタイムツアー」デザイン作業。
1992年
イタリア、ヴェニスから新型ヨットのコンセプトデザイン作業受注。
1994年
映画『TIME COP』『STRANGE DAYS』デザイン作業。
1995年
母親Margaret Ann Stover Mead死去。
1996年
日本のパソナ社より、神戸港のサイトデザイン受注。ギリシャ国営航空会社OALの依頼で600フィートの船をデザイン。
1998年
日本のアニメーション『ターンエーガンダム』のデザイン作業。
2000年
イタリア、トリノで開催されたAUTO2OOOにゲストとして招かれる。
2001年
日本のスタジオナッツの依頼で腕時計をデザイン。アメリカ大統領諮問委員会のメンバーとなる。

 

 

 

 

 

※1=現在はArt Center College of Designの名称でパサデナに移転している。75年の歴史を誇る名門校で、映画監督のマイケル・ベイやカーデザイナーのken okuyamaなど、多数のデザイナー、アーティストを輩出している。

※2=1920年代から活躍したデザイナー。インダストリアルデザイン(工業デザイン)という概念を定着させたパイオニアとして、世界中のデザイナーの尊敬を集める。1951年の著書『口紅から機関車まで』はプロデザイナーのバイブルとなった。ペンシルヴァニア鉄道の流線型機関車「GG1」や日本のタバコ「ピース」のパッケージなどでも有名。