第14回 大先輩のエールを受けて
『王立宇宙軍』パイロットフィルムは完成した。わずか4分間の映像だが、そこには若き挑戦者達の熱い想いが込められていた。しかし、劇場映画化のためには役員会を突破しなければならない。その厚き壁にどう挑む?
宮崎さんからのメッセージ
―――いよいよ、劇場映画化へ向けて前進するわけですが、今度は、いつにもましてハードルが高いですよね。
渡辺:バンダイとしても初めて製作する劇場映画ですから、役員会で説明して承認をとり予算を獲得しなければなりません。しかも、今をときめくGAINAXと言っても、当時は若く、全く無名の集団ですから、いくら良い作品を作ると言ってみても、それなりのお墨付きが必要なわけでした。
1985年当時、追い風は吹いていました。宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』のヒットがありました。この作品は「アニメージュ」連載のマンガ原作こそ存在しましたが、ほとんどオリジナル劇場版と言っても過言ではありません。前にもお話しましたが、常務の杉浦(幸昌)さんと「アニメージュ」編集長の尾形(英夫)さんは、常に情報交換をされている間柄です(第11回参照)。そんな縁で『ナウシカ』の成功は、当時のバンダイ上層部でも高く評価されていました。
『ナウシカ』のクライマックス、巨神兵が王蟲の群れをなぎ払うシーンでは、作画を庵野(秀明)さんが担当していました。その庵野さんが、仲間と新しい作品を作ろうとしている、ということは宮崎さんもご存知でしたし、かなりの関心を持っておられたそうです。
そこで、押井守さんの橋渡しもあり、『ナウシカ』の監督の宮崎さんに相談に行っては、ということになったのです。
―――いつもながら単純明快ですね。
渡辺:予め宮崎さんに『王立宇宙軍』のパイロットフィルムもご覧いただいて、当時、阿佐ヶ谷にあった宮崎さんの事務所をひとりで訪ね、二人っきりで話をさせていただきました。
宮崎さんからは、ベテランならではの、いろいろなお話を伺いました。
「作品というのは、きちんと作れば、その場はたとえ多少赤字になったとしても、ある一定の年月が経れば、ペイします。そこからさらに育てれば何倍にもなるはずです」
これは、宮崎さんの『ルパン三世 カリオストロの城』での経験だったそうです。今でこそ、あの作品は『ルパン三世』の代表作と持てはやされてはいますが、公開当時は、多くのルパンファンから「こんなの『ルパン』じゃない!」と酷評されました。事実、興行的にもあまりヒットしなかったそうです。けれども、宮崎さんは、想いを込めて「きちんと」作られた。だから、徐々に評価され、結果的に『ナウシカ』へと繋がっていったわけなのです。これは特に勇気付けられるお話でした。
聞き惚れていましたら、あっという間に3時間近くが経っていました。
そこで、庵野さんたちが作ろうとしている作品の後押しをしていただけないか、とお願いしてみました。ただ、大ベテランにアマチュアの作品がどう映っているのかは正直不安でした。そこでその点について伺ってみたのです。
「アマチュアの作品というのは建物で言えば天窓だけを作る事になりがちです。要するにそこだけ見ればディティールは凝っているのですが、建物全体として見た場合は基礎がガタガタで、ダメな場合が多い。けれど、庵野君達の目線というのは、しっかりしているし、設計も決して変なことにはならないでしょう。そういう点で言えば、もう彼らは、すでにアマチュアとは言えないのではないでしょうか。きっと土台がしっかりした建物になります。大丈夫ですよ」
宮崎さんは、こう仰ってくれたと記憶しています。
さらに「必要ならばバンダイの役員会に出て、自分が説明してもいいですよ」とまで仰っていただけました。
―――完璧なお墨付きですね。
渡辺:役員会当日は、パイロットフィルム上映、岡田さんたちが参加してのイメージボードを交えたプレゼンテーションなどが行われました。それに加えて、自分は、宮崎さんの言葉も伝えました。新鋭達の作品に対する自信溢れる姿と重鎮の推薦の言葉、その効果は絶大で、ついに劇場版のゴーサインを出していただけました。
当時は、山科誠社長が、バンダイグループとしての新分野開拓を模索していた時期でもあったのです。特に映画に対しては、ロマンを持っていた方でしたから、宮崎さんの神通力もさることながら、その思いがタイミング良く絡み合ったからこそのゴーサインだったのだと思います。
―――晴れて劇場映画のスタートというわけですね。
渡辺:ところが、この決定には条件が付けられていたのです。当初の予算は3億円(音楽制作費を除く)と考えられていたのですが、いきなりそれでスタートするのは無謀ではないのか、という意見が出てきたのです。そこで、3億円の4分の1、つまり7500万円の予算で、全体の4分の1パートを作り始め、ある一定の期間内に興行のメドがついたなら、残り4分の3を出していただけるということになりました。
―――もしも、メドが付かなかったら?
渡辺:プロジェクトは中止、完成した部分をビデオ化して販売ということでした。しかもその4分の1とは一番地味なCパートです。今考えると無茶苦茶な話です。
―――今でしたら、製作委員会で資金を集めて、その後に利益を配分という手段が取られますけれど、あまり類を見ない投資方式ですね。
渡辺:バンダイ自体に映画製作のノウハウなどが存在しなかった時代です。ただ、ここにも山科直治会長の「小さく産んで大きく育てる」という精神が継承されているわけです(第12回参照)。とにかく、条件は付きましたが、様々な方々の尽力で、まずは現場を動かせることになったのです。
GAINAX、NASAへ
渡辺:パイロットフィルムも完成したところで、やはり本物のロケットの打ち上げを見なければならないだろう、ということで1985年の夏にNASA(米国航空宇宙局)へ取材旅行に出かけることになりました。
スペースシャトルの組み立て施設VAB(Vehicle Assembly Building)など、かなり重要なエリアまで見せてもらえました。
―――そう簡単に見学できるものなのですか?
渡辺:岡田(斗司夫)さんたちの恩師である野田昌宏さんのご紹介があって初めて実現できたことです。野田さんはテレビ番組の制作などでNASAに頻繁に取材をされていたので、実績も人脈もあり、プレスとして最深部まで入れるパスまで手配してくださったのです。
全米取材と言うことで、NASAへ行く前に、ロスアンゼルスからワシントンに入り、クインメリー号や、大富豪のハワード・ヒューズが飛ばした超巨大飛行艇スプルス・グース、スミソニアン博物館の航空宇宙棟等を見学して回りました。さらにニューヨークではポストモダンな建築物や摩天楼、空母イントレピッド等を見て回った後、南下してフロリダにあるケネディ宇宙センターへ到着しました。
その時のスペースシャトルのミッションはディスカバリー号のそれで、結局の所、実際の打ち上げは1985年の8月27日になったのですが、悪天候続きで、二度ほど打ち上げ延期が続きました。待機の間は、フロリダのディズニーワールドまで出かけて時間を潰していました。滞在経費も使い果たす寸前となり、三度目の正直、これで駄目なら帰国するしかない、と出かけた打ち上げ日は、それまでで一番天候が悪く、朝から雨交じりで、もはや見れないかと半分覚悟したのですが、何とか打ち上げ決行となったのです。
シャトルロケット打ち上げの迫力は、それまで見ていたビデオ映像などとは比べものにもならない壮大なものでした。最初にピカッとまぶしい光、次に白い煙を爆発的に吹き出しながらリフトオフするのが見え、しばらくして周囲の空気全体を震わす「原付バイク30万台を一斉にふかした」かのような、バリバリバリッという震動が押し寄せてきました。
打ち上げられたシャトルは、数百メートル上空を覆う雲に突入して一瞬見えなくなり、雲のそこを明るく照らしたかと思うと、突き抜けて天空高くさらに上昇していったのでしたが、それはそれは素晴らしい光景でした。
これにはGAINAXのみんなも感銘を受けたらしく『王立宇宙軍』のクライマックスの打ち上げシーンでは、実際目撃したシチュエーションが再現されています。
残念なことに、この翌年の1986年の1月にチャレンジャー号の爆発事故があって、しばらくシャトルの打ち上げは無くなってしまうわけですので、この機を逃していたら、あの迫力あるシーンを作ることは出来なかったかもしれませんね。
真夜中の訪問者
―――当時のGAINAXのスタジオは、どのような様子だったのですか?
渡辺:最初は、高田馬場のマンションの一室から始まりました。3LDKぐらいでしたか。ここではパイロットフィルムを作ったり、設定やシナリオを練っていました。アメリカ取材旅行の直前、だいぶ作業も進んでくると、さすがに手狭になったので、やはり高田馬場にある別のマンションに引っ越しました。大家さんに了解を取って、3LDKの部屋を2つ借りて、その壁をぶち抜いて使いました。みんな、ほとんど住み込み状態で必死に作業していました。押し入れなども簡易ベッドにしていましたからね。
進行管理や、いろいろと意思疎通も図らなければならないので、自分もよく通いました。打ち合わせが夜遅くにまでなることも度々でした。
一番最初の高田馬場のスタジオに、ある晩宮崎さんが訪ねてくださったことがありました。陣中見舞いに一升瓶を持って励ましに来てくださったのですが、話がよくかみ合わなかったそうで、そのまま帰られたそうです。
それから1年後、1986年の春先、制作が佳境に入り、吉祥寺にさらに広い場所を借りることになりました。
今度は、ここに大塚康生さんが訪ねて下さったのです。そして、愛弟子の貞本(義行)さんをはじめとする若きメンバーに動画の技術指導をしていかれたそうです。何度かいらっしゃって、指導していただけたので、正式にクレジットに入れては、という話にまでなりました。
同じ頃、宮崎さんも吉祥寺スタジオに庵野さんの様子を見に来て下さったそうです。
お二方とも、夜遅くに突然いらっしゃるそうで、残念ながら自分は一度もお会いできませんでした。
―――若い弟子たちが、気になって仕方なかったのでしょうね。
渡辺:これは自分の想像ですが、『(太陽の王子)ホルスの大冒険』を作っていた頃のご自分達の姿をダブらせていたのかもしれませんね。
暫定的ではあるが、『王立宇宙軍』は劇場化へ向けて大きく動き始めた。正式スタートとするためには、配給会社を決定しなければならない。ここにも難問が立ち塞がる!?
(2007/09/21)