アイツは開発向きでしょ?

――――最初に渡辺さんとお会いになった時の第一印象は?

鵜之澤 同期と言っても、何十人もいる中のひとりですからね。初対面の印象ですか? 眼鏡かけて、意志が強そうな感じだったかなぁ。ああ、それと、アイツは慶應(大学)出身なんですよね。けれど、言うところの慶應ボーイのイメージとはほど遠かったな。ちなみに僕は早稲田なんだけど、自分も早稲田風には見えないんだよね。まあ、出身校なんてどうでもいいし、こだわらないんですが。

――――その後、渡辺さんはポピーの経理に配属になるわけですが。

鵜之澤 あれは変だったよね。あんなに映画オタクで、『ガンダム』もちゃんと見てて。僕なんか全然見てないのに(笑)。会社の業務とは別に、著作権の勉強会とか、メディアわんの土屋さんのところで、いろいろビデオ見せてもらったりとか、よく一緒だったんですけど、そりゃ詳しいわけですよ、作品に関して。土屋さんともオタク同士仲良かったし。だから、単なる経理ってのはおかしいし、アイツは開発やらせた方が絶対にいいんじゃないかって常々思ってたわけですよ。
で、僕の上司の北出(孝雄)さんにも、そのことをよく話してたんですよね。そうしたら、北出さんは、ポピーの村上(克司)さんと同期で仲が良かった。それで渡辺の話が伝わって、彼は開発に異動できたわけです。(第2回参照)
それで、彼は成田亨先生と、大好きな「リアルホビー」をやるわけですよ。
今のバンダイがやっている「超合金魂」とかは、「リアルホビ」ーが発祥だと思いますよ。単なる子供のおもちゃじゃなくて、マニア相手のアイテム。ゼネプロとか海洋堂とかガレージキットの世界ではすでにあったかも知れないけれど、大手メーカーが、それをやったというのは初めてだよね。
それにしても、渡辺は幸せそうだったよね……。

六本木へ---異動の内幕

――――では、いよいよフロンティア事業部への電撃移籍の件なのですが。(第12回参照)

鵜之澤 渡辺とは、彼が開発に移ってからは、そうちょくちょく会っていたわけでもないんだけれど、なんか六本木のフロンティア事業部の方に消えたらしい、という噂は聞いておりました。
で、しばらくしたらアニメの企画を立ち上げて、もうアップアップなので来て欲しい、というお願いが本人からもありましたね。
来て欲しい、と言われてもなぁ……というのが現状で。ホビー部はホビー部で忙しかったですからね。
ホビー部ってのは、バンダイの中でも一種異様な存在で、一度配属されたら、無事に生きて出られたヤツはいない! というような閉ざされた空間だったわけです。自分から異動についてなんてとても言えるような状況じゃない。それに、僕自身は、当時のホビー部も仕事も全然嫌いじゃなかったから、十分よろしくやっていたわけです。
渡辺も、その状況を知ってか知らずか、上層部を口説いて、僕の異動を企みやがったんです。
いきなり専務のひとりに呼ばれましてね。僕は、入社2年半ぐらいの社員ですから、話なんかしたこともない人ですよ。で、その方の部屋で、「六本木の方で君を欲しがっているらしいんだが、どうかね?」と。
「どうかね?」って言われて、「いや、やりません」とは言えないじゃないですか。なので、「はぁ、前向きに」みたいなニュアンスの返事をしたら、イコール「本人は受け取った」みたいなことになっちゃって。正直、驚きましたよ。直属の上司を飛び越えて、ポンと引っ張られたわけですから、当時の部長さんなんて僕のこと脱走者扱いですよ。その後、3年間ぐらい口も利いてもらえませんでした。
だから『パトレイバー』の企画を持って行った時、冷たくあしらわれたのも、このへんの背景があるわけなんです。
でも結果、良かったと思いますけどね。あそこで人生をアイツに大きく変えられなかったら、今でもずっとプラモデル売ってたかもしれませんし、こんなにいろいろなことできなかったと思いますよ。

――――鵜之澤さんを熱烈に奪取した渡辺さんですが、しばらくすると『王立宇宙軍』のプロジェクトに掛かりきりになってしまいますね。

鵜之澤 どうしても『王立宇宙軍』がやりたい! と。もの凄いパワーと情熱で邁進していったよね。何よりも凄いな、と思うのは、あの当時、アマチュアの延長上だったGAINAXにウン億の予算かけて映画を作らそうと、発想したことだよね。その後の日本の映像業界のことを考えると、GAINAXは、まさに才能の宝庫でしたよ。けれど、当時の僕には想像もできなかったし、あのシナリオの設定で、当時のあの予算でなんて、多分諦めたてたろうし、やろうとも思わなかった。やっぱり渡辺ならではだと思うよね。
でも、『王立』に掛かりきりになるあまり、そもそもアイツが始めたエモーションというレーベルは、ほったらかしになっちゃうわけです。おいおい、どうすんだよ? って思いましたよ。アイツは、現場が好きなんで、完全に張り付いちゃったからね。まぁ、アイツの熱心な性格から考えれば十分予想できたことなんだけど……。
その間に部下は増えるし、エモーションもチームになっていくわけで、こちらも後には引けないので、納得してやらざるを得ない。まぁ、1、2年経っていたので、アニメのことは理解もできるし、好きにもなってましたからね。

――――渡辺さんの談話の中で、この『王立宇宙軍』準備の時期に、鵜之澤さんと喧嘩したエピソードが語られるのですが。(第15回参照)

鵜之澤 喧嘩? アイツと? あんまり記憶にないなぁ。

――――たとえば、C.MOONレーベル(※1)のこととか。

鵜之澤 ああ、C.MOONレーベルね、はいはい。当時、ちょっとお色気路線のアニメの持ち込みがあったんですよ。実際に確固たる市場はあったわけだし、エモーションにも企画の幅を広げてもいいんじゃないの? と。
でもね、渡辺は、やっぱりエモーションには、特別の思い入れがあって、そういう路線って認めようとしないんだよね。それで、「うるせぇな! 別にレーベル作ればいいんでしょ!」って作ったんです。

――――ちなみにC.MOONの意味は?

鵜之澤 三日月の意味ですね。どんなつもりで付けたのかなあ。かなりいい加減です。
あと、実はHALF MOONってのもあったんですよ。C.MOONは15歳以下禁止、R指定という一応建前ね。HALF MOONはそれを超えちゃったヤツだから成人指定、18禁っていうワケです。じゃあ、FULL MOONは一体何なんだろう? って(笑)。

――――喧嘩のエピソードとしては、他にも『八岐之大蛇の逆襲』(※2)のメイキングがありますが、ご記憶は?

鵜之澤 ええ? たしかにジャケットがどうのこうの、ってのは憶えてますけどねぇ。そんなにもめたかな? 良く憶えてるなぁ、アイツ。こっちは昨日のことだって憶えちゃいないのに(笑)。

「商売人」と書いて、プロデューサーと読ませる。

鵜之澤 こうやって話していると、僕と渡辺の違いが分かってくるな。アイツは、やっぱりクオリティ重視なんですよ。
僕は、実はそのへんは、どうでもいいんですよ。ストーリーや設定の精密さとか、リアリティとか、正直、破綻してたってかまわない。もちろん、仕上がった作品の製作費や販売に関わる部分は別ですよ。とりあえず儲ける。「商売人」と書いて、プロデューサーと読ませる(笑)。ただし、これは単なる銭勘定ではなくて、そこで儲けて、実績を作って次に繋げたいわけです。
当時も、今も、そうなんだけれど、コレ作りたいってものはあまりなくて、いろいろな企画を持ちかけられると、それじゃあ、僕だったら、どうやって料理できるだろう? どうやって実現してあげられるだろう? っていう興味が先立つわけです。そのへんは、先ほど話した布川(ゆうじ)さんの教えが染みついているから。
渡辺の場合は、あくまでクリエイターと血みどろになってやり合って、自分が納得するものが出てこないと一歩も引かない。あと、端から見てると、アイツは、絶対に不可能なもの、勝ち目のないものにしか突っ込んでいかないよね。本人は意識していないんだろうけれど。
そのへんの後始末とか、僕に回ってくるってことが、いくつかあったよなぁ。

――――渡辺さんも「自分の失敗を、ビジネスに長けた鵜之澤君が結実してくれる」と、よく仰ってましたね。(第18回参照)

鵜之澤 何言ってんだよ!?(笑) 
でもね、僕は自分では手を出さないじゃないですか? 渡辺は、逆にいろいろやっちゃう。その結果、上手くいくものもあれば、失敗もある。
そういう意味では、渡辺が先行した企画を僕がコントロールするみたいなことが、多かったのかな。
たとえば、『攻殻機動隊』とかは良い形だったよね。渡辺が僕に頼みたいことがある、と言うんで、新宿の喫茶店(※3)で待ち合わせることになったら、その場に押井さんもいらっしゃる。マニアックな企画だったら、たとえ押井さん企画でも、ぶっ潰す! と身構えていたら、『攻殻』が出てきたわけで。これだったら、僕も認める。やりましょう! と。
これは、実際に成功もしたし、良い関係だったよね。

また何かやらかすんじゃないの?

――――渡辺さんが『王立宇宙軍』の後に長期リタイアされた時に、鵜之澤さんには随分と世話になった、と語られていました。

鵜之澤 そりゃずっと会社に来ないんだから、心配もしますよ。アイツのアパート行ったら、とりあえず生きてて……。でも、起き上がれないって言うんで、アイツの実家に電話して。まぁ、復帰してくれたからよかったけど。

――――山あり谷ありの渡辺さんとのエモーション時代ですが、トータルで何年ぐらいになるのですか?

鵜之澤 5年ぐらいじゃないのかなぁ。

――――意外に短いですね。もっと長いかと思いました。

鵜之澤 僕が1983年の後半あたりからフロンティア事業部に行って、1995年にはバンダイ・デジタル・エンタテイメントに移っちゃうから、全体でも12年ぐらい。自分自身も映像をやってた期間はもっと長いと思ってたんだけどね。
だから、渡辺と一緒だったのは、立ち上げの頃の2、3年。それと最後の方のデジタルエンジンプロジェクトなどの準備期間の1、2年だから、やっぱり5年ぐらいですよね。
渡辺が途中抜けていたこともあったし、その間に所帯も大きくなって、部署も分かれてたからね。それに路線もやり方も違うし。みんなが言うほど二人三脚の時期は少ないですよ。
よくエモーションの2つのモアイ。ひとつが渡辺で、もうひとつが僕って言われますけど、あのマークが決まったのって僕が入る前ですから。知らねぇよ! って(笑)。

――――最後に。鵜之澤さんにとって渡辺さんとは?

鵜之澤 まだ語りきれないでしょう。まだ語るには早い。お互いいよいよリタイアする頃になるまで、分からないでしょうね。また何かやらかすんじゃないの? アイツは。

【了】

 

 

鵜之澤 伸(うのざわ・しん)

1957年、東京都生まれ。早稲田大学商学部卒。81年に(株)バンダイ入社後、ホビー事業部に配属。「ガンプラ」の営業、営業企画を担当する。83年に同・フロンティア事業部へ異動し、数々の映画、TVアニメのプロデュースを行う。92年にバンダイビジュアル(株)取締役、95年に(株)バンダイ・デジタル・エンタテインメント取締役を経て、98年に再び(株)バンダイ入社。その後、映像ソフトからビデオゲームの世界へと活躍の場を移す。主なプロデュース作品に『機動警察パトレイバー』(OVA・TVアニメ・劇場アニメ)、『ジャイアント・ロボ THE ANIMATION〜地球が静止する日』(OVA)、『.hack//』(TVアニメ・ゲーム)などがある。現在は(株)バンダイナムコゲームス代表取締役副社長兼コンテンツ制作本部長。

※1 C.MOONレーベル

1986年6月に立ち上げられた新レーベル。EMOTIONレーベルとの違いについて当時の資料では「面白いことに関しては共通、違いは刺激的で、ちょっぴりエッチを盛り込んだ作品を提供すること」と説明されている。その後、『傷追い人』(1986年)、『ADポリス』(1990年)などがリリースされた。

※2 八岐之大蛇の逆襲

GAINAXの前身のひとつであるDAICON FILM製作の空想特撮大怪獣映画。監督は赤井孝美、特技監督は樋口真嗣。16ミリで撮影され、上映時間72分。樋口氏による迫真の特撮シーンと自主制作映画の域を大いに脱したスケールにより話題を呼んだ。1986年にEMOTIONレーベルからビデオ発売された。

※3 新宿の喫茶店

渡辺繁氏の記憶では浅草駒形の寿司屋だったという。