アイツは開発向きでしょ?――――最初に渡辺さんとお会いになった時の第一印象は? 鵜之澤 同期と言っても、何十人もいる中のひとりですからね。初対面の印象ですか? 眼鏡かけて、意志が強そうな感じだったかなぁ。ああ、それと、アイツは慶應(大学)出身なんですよね。けれど、言うところの慶應ボーイのイメージとはほど遠かったな。ちなみに僕は早稲田なんだけど、自分も早稲田風には見えないんだよね。まあ、出身校なんてどうでもいいし、こだわらないんですが。
――――その後、渡辺さんはポピーの経理に配属になるわけですが。 鵜之澤 あれは変だったよね。あんなに映画オタクで、『ガンダム』もちゃんと見てて。僕なんか全然見てないのに(笑)。会社の業務とは別に、著作権の勉強会とか、メディアわんの土屋さんのところで、いろいろビデオ見せてもらったりとか、よく一緒だったんですけど、そりゃ詳しいわけですよ、作品に関して。土屋さんともオタク同士仲良かったし。だから、単なる経理ってのはおかしいし、アイツは開発やらせた方が絶対にいいんじゃないかって常々思ってたわけですよ。 六本木へ---異動の内幕――――では、いよいよフロンティア事業部への電撃移籍の件なのですが。(第12回参照) 鵜之澤 渡辺とは、彼が開発に移ってからは、そうちょくちょく会っていたわけでもないんだけれど、なんか六本木のフロンティア事業部の方に消えたらしい、という噂は聞いておりました。 ――――鵜之澤さんを熱烈に奪取した渡辺さんですが、しばらくすると『王立宇宙軍』のプロジェクトに掛かりきりになってしまいますね。 鵜之澤 どうしても『王立宇宙軍』がやりたい! と。もの凄いパワーと情熱で邁進していったよね。何よりも凄いな、と思うのは、あの当時、アマチュアの延長上だったGAINAXにウン億の予算かけて映画を作らそうと、発想したことだよね。その後の日本の映像業界のことを考えると、GAINAXは、まさに才能の宝庫でしたよ。けれど、当時の僕には想像もできなかったし、あのシナリオの設定で、当時のあの予算でなんて、多分諦めたてたろうし、やろうとも思わなかった。やっぱり渡辺ならではだと思うよね。 ――――渡辺さんの談話の中で、この『王立宇宙軍』準備の時期に、鵜之澤さんと喧嘩したエピソードが語られるのですが。(第15回参照) 鵜之澤 喧嘩? アイツと? あんまり記憶にないなぁ。 ――――たとえば、C.MOONレーベル(※1)のこととか。 鵜之澤 ああ、C.MOONレーベルね、はいはい。当時、ちょっとお色気路線のアニメの持ち込みがあったんですよ。実際に確固たる市場はあったわけだし、エモーションにも企画の幅を広げてもいいんじゃないの? と。 ――――ちなみにC.MOONの意味は? 鵜之澤 三日月の意味ですね。どんなつもりで付けたのかなあ。かなりいい加減です。 ――――喧嘩のエピソードとしては、他にも『八岐之大蛇の逆襲』(※2)のメイキングがありますが、ご記憶は? 鵜之澤 ええ? たしかにジャケットがどうのこうの、ってのは憶えてますけどねぇ。そんなにもめたかな? 良く憶えてるなぁ、アイツ。こっちは昨日のことだって憶えちゃいないのに(笑)。 「商売人」と書いて、プロデューサーと読ませる。
鵜之澤 こうやって話していると、僕と渡辺の違いが分かってくるな。アイツは、やっぱりクオリティ重視なんですよ。 ――――渡辺さんも「自分の失敗を、ビジネスに長けた鵜之澤君が結実してくれる」と、よく仰ってましたね。(第18回参照) 鵜之澤 何言ってんだよ!?(笑) また何かやらかすんじゃないの?――――渡辺さんが『王立宇宙軍』の後に長期リタイアされた時に、鵜之澤さんには随分と世話になった、と語られていました。 鵜之澤 そりゃずっと会社に来ないんだから、心配もしますよ。アイツのアパート行ったら、とりあえず生きてて……。でも、起き上がれないって言うんで、アイツの実家に電話して。まぁ、復帰してくれたからよかったけど。 ――――山あり谷ありの渡辺さんとのエモーション時代ですが、トータルで何年ぐらいになるのですか? 鵜之澤 5年ぐらいじゃないのかなぁ。 ――――意外に短いですね。もっと長いかと思いました。 鵜之澤 僕が1983年の後半あたりからフロンティア事業部に行って、1995年にはバンダイ・デジタル・エンタテイメントに移っちゃうから、全体でも12年ぐらい。自分自身も映像をやってた期間はもっと長いと思ってたんだけどね。 ――――最後に。鵜之澤さんにとって渡辺さんとは? 鵜之澤 まだ語りきれないでしょう。まだ語るには早い。お互いいよいよリタイアする頃になるまで、分からないでしょうね。また何かやらかすんじゃないの? アイツは。 【了】
鵜之澤 伸(うのざわ・しん)1957年、東京都生まれ。早稲田大学商学部卒。81年に(株)バンダイ入社後、ホビー事業部に配属。「ガンプラ」の営業、営業企画を担当する。83年に同・フロンティア事業部へ異動し、数々の映画、TVアニメのプロデュースを行う。92年にバンダイビジュアル(株)取締役、95年に(株)バンダイ・デジタル・エンタテインメント取締役を経て、98年に再び(株)バンダイ入社。その後、映像ソフトからビデオゲームの世界へと活躍の場を移す。主なプロデュース作品に『機動警察パトレイバー』(OVA・TVアニメ・劇場アニメ)、『ジャイアント・ロボ THE ANIMATION〜地球が静止する日』(OVA)、『.hack//』(TVアニメ・ゲーム)などがある。現在は(株)バンダイナムコゲームス代表取締役副社長兼コンテンツ制作本部長。 ※1 C.MOONレーベル1986年6月に立ち上げられた新レーベル。EMOTIONレーベルとの違いについて当時の資料では「面白いことに関しては共通、違いは刺激的で、ちょっぴりエッチを盛り込んだ作品を提供すること」と説明されている。その後、『傷追い人』(1986年)、『ADポリス』(1990年)などがリリースされた。
※2 八岐之大蛇の逆襲GAINAXの前身のひとつであるDAICON FILM製作の空想特撮大怪獣映画。監督は赤井孝美、特技監督は樋口真嗣。16ミリで撮影され、上映時間72分。樋口氏による迫真の特撮シーンと自主制作映画の域を大いに脱したスケールにより話題を呼んだ。1986年にEMOTIONレーベルからビデオ発売された。 ※3 新宿の喫茶店渡辺繁氏の記憶では浅草駒形の寿司屋だったという。 |