藤津亮太のAnime喜怒哀楽

最終回 生まれいずる喜び

『ふしぎなメルモ』のインパクト イラスト/KEI-CO

吉野弘の詩に「I was born」という詩がある。教科書に載ったこともあるから知っている人も多いだろう。この詩は、少年が身重の女とすれ違った瞬間、「生まれる」が受け身であることを諒解する一場面を切り取ったものだ。少年は一緒に歩いていた父に言う。「正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意思ではないんだね」。
ちょっとドキっとするものいいだが、確かに英語を言葉通りに捉えればそういうことにはなる。
とはえいえ、「生む側」からすると出産は「生まれさせられるんだ」という一言ですませられるような単純なものではない。
たとえばエンターテインメントには「思わぬ場所での出産」という定番のシチュエーションはある。緊急事態の中、妊婦が産気づき、なんとか出産させようと居合わせた人々が努力するというもの。「ありったけのお湯をわかせ!」というセリフが出てくることが多い、と書くと「ああ!」と納得してくれる人も多いんじゃないだろうか。もちろんこのパターンはアニメにもあって、最近では『タイドライン・ブルー』(05年、飯田馬之介監督)と『ヴァンドレッド the second stage』(01年、もりたけし監督)が「思わぬ場所での出産」を物語の中に組み込んでいた。
とはいえ、それ以外の「出産」はもっと普通というか淡泊だ。その場面をずばり描くわけにいかないという事情もあるからだろうか、陣痛が始まったらそこから先は、いわゆる「映画的省略」というヤツで、あっさり出産後の場面へと移ってしまうことも少なくない。
典型的な「映画的に省略された出産」の例をあげるとするなら『魔女の宅急便』(89年、宮崎駿監督)のおソノさんがちょうどいいだろう。本編中ずっと妊娠していた彼女は、キキがトンボを救うクライマックスを見届けた後、すぐに産気づく。そして次におソノさんが登場するエンドクレジットには、おソノさんのそばには生まれてきた子供の姿が描かれている。
そんな中でやはり異色だな、と思うのは『ふしぎなメルモ』(71年、永樹凡人監督)。性教育を一つのテーマとしていたからだろうか、最終回の「さようならメルモ」では出産の場面が比較的リアルに描かれているのだ。
メルモは成長し、結婚する。そして娘を生む。出産シーンではメルモがベッド(というか正確には分娩台か)の手すりを握りながら、声を張り上げ、いきんでる様子が描かれていた。さすが性教育アニメである。
実はこの場面、再放送で見たきり、見直したことがない。にもかかわらずこれほどまでに脳裏に焼き付いているのは、ひとえにいきんでいる声があまりに悲痛で、まるで拷問か何かのようにしか見えなかったから。子供心に「お産ってこんなに大変なの??……。アニメ的な誇張じゃないの??。ホントなら男でよかったなぁ」などとさまざまな思いが去来した記憶がある。

生まれ出た子供たちの役割

一方、『地球へ…』(80年、恩地日出夫監督)では出産シーンが物語の中盤の大きなポイントとなっている。
全ての人間は試験管ベビーとして生まれ、徹底的に管理されるSD体制。その異端者として追われる超能力者ミュウたち。ミュウのリーダー、ジョミーは、その長い逃亡の旅の中で、長らく忘れられていた「自然出産」を行おうと提案する。そしてジョミーを慕うカリナとの間に男の子が生まれる。
さすがに『メルモ』のように分娩室にカメラが入ることはない。けれども、分娩室の前でやきもきとするジョミーの姿を描き、遠くから聞こえてくる産声で出産の瞬間を表現している。
この時生まれた男の子トオニィはやがて、ジョミーの代役として、戦いが不得手なミュウの中でSD体制攻撃の急先鋒となり、物語に大きなうねりをもたらすことになる。
実は竹宮惠子の原作では、トオニィはジョミーの息子ではない。ジョミーは確かに自然出産を提案するが、カリナはジョミーではない別の男性との間にトオニィを生むのだ。
映画版のこの脚色は、ジョミーという軸を明確にし、『地球へ…』の「三世代にわたる大河ドラマ」という構造を一層くっきりさせることになった。カリナの出産シーンはだからこそちゃんと描かれる必要があったのだ。
もう一つ、「生まれ出た子供が大きな役割を果たす」作品といえば忘れてはならないのは『THE IDEON 発動篇』(82年、富野由悠季監督)のメシア。異星のバッフクラン人と地球人の間に生まれたメシアは、イデが発動した後に姿を現し、人々を導く水先案内人として飛翔する。いわば大オチのためのジョーカーのような赤ん坊なのだ。さらに、これまでの出産シーンと違い『THE IDEON 発動篇』ではメシアが母カララのお腹の中から出てくる瞬間を――イメージ的ではあれど――描いている。こういう出産シーンは空前絶後ではないだろうか。

さて、「I was born」の詩には続きがある。英語にインスパイアされた少年の無邪気な一言に、父は次のように語り始める。
「父は無言で暫く歩いた後 思いがけない話をした。
――蜉蝣(かげろう)という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬんだそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくるのかと そんな事がひどく気になった頃があってね――」
詩の興趣を損ないたくないので、これ以上の引用はやめておくが、父は静かに「受け身」と言い切ってしまうことでこぼれ落ちてしまう親の思いについて語る。
そういえば『メルモ』の最終回。メルモの出産シーンの後、物語はこんなふうに続いていたと記憶している。
メルモが生んだ娘は生まれてしばらくして、メルモが大切に残していた青いキャンディーを食べてしまう。そうするとメルモの娘は、かつて交通事故で死んでしまったはずのメルモの母の姿になる。母と娘の奇跡的な邂逅。
この場面、今思えば「親になってこそわかる親の気持ち」という事実を出産という象徴的な一場面に結びつけて描いたのではないだろうか。
そしてこの最終回は「I was born」で静かに蜉蝣の産卵を語る父の思いと、深いところで結びついているように思う。

(2008/08/25)


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