藤津亮太のAnime喜怒哀楽

第17回 「美女と野獣」−「歌の喜び」=?

ミュージカル・アニメといえば
やはりディズニー
イラスト/KEI-CO

『新世紀エヴァンゲリオン』の渚カヲルの言葉を借りるまでもないが、「歌」というのはとてもいいものだ。歌うにしても、歌を聴くにしてもそこには喜びが間違いなくある。
歌の語源は訴える、だという。思いがあふれ、それがいつの間にか歌になる。そう考えると「唐突に歌い出すなんて不自然」なんていわれがちだが、ミュージカルというスタイルもずいぶんとわかりやすくなるんじゃないだろうか。そういえば誰かが「ミュージカルは頭ではなく、心に訴えかけるのです」なんて言っていたことも思い出されてくる。
いうまでもなくアニメの中にはミュージカル・アニメというジャンル(?)がある。歌や踊りという「芸」をアニメで鑑賞するというのはなにやら倒錯的な感じがしないでもないが、これが天下のウォルト・ディズニー・プロダクションの伝家の宝刀である。その存在感は、制作された本数以上のものがある。
もちろんディズニー以外にもミュージカル・アニメはある。たとえば『おろしたてミュージカル 練馬大根ブラザース』(06年)や『映画クレヨンしんちゃん 雲黒斎の野望』(95年)とか。ここに『ベルヴィル・ランデブー』(02年)を入れる人もいるかな。が、これらの作品は、ミュージカル文化の中では、カウンター、オルタナティブ、あるいはマージナルなものだ。マンガの中心に週刊少年誌が、クラシックの中心に19世紀のウィーンがそれぞれ鎮座しているように、ミュージカルアニメの中心にはディズニーがいるのだ。
そのディズニーのミュージカル・アニメも長らく不振・不遇の時代があった。それが息を吹き返したのが『リトル・マーメイド』(89年)以降の出来事であるのは有名な話。このディズニー第二の黄金期と呼ばれる時期の作品の中でも、ミュージカルアニメとして屈指の完成度を誇るのはやはり『美女と野獣』(91年)だろう。
『美女と野獣』がいかにミュージカルとして魅力的かというのは、言い換えれば歌われる楽曲がすぐれて魅力だったということでもある。ブロードウェイで舞台化され――アニメのミュージカルが舞台になるというのも本末転倒だけれど――好評を博したそうだが、メディアを超えることができたのも、やはり楽曲の魅力に負うところが大きかったのではないか。事実、その年のアカデミー賞では、主題歌の「美女と野獣((Beauty and the Beast)」だけでなく、「ベルのひとりごと (Belle)」「ひとりぼっちの晩餐会 (Be Our Guest)」がそろってノミネートされ、最終的に「美女と野獣」がオスカーに輝いた。

ミュージカルとしては魅力的だが
では……

ここでディズニー・ミュージカルアニメの立役者、作曲のアラン・メンケンの功績に触れたいところだが、ぐっと我慢して、別の部分に注目したいと思う。それは主題歌「美女と野獣」の流れるあの有名なシーンだ。
「美女と野獣」は物語の中盤、ベルと野獣が心を通わせディナーとダンスを楽しむ場面で流れる。画面内ではポット夫人がこの歌を歌い、間奏でバイオリンが響けば、画面でもバイオリンを奏でるシーンが描かれる。
だが映像を注意深く見れば、歌は一貫して流れている一方で、カットとカットの間では時間が省略されていることに気づくはずだ。ポット夫人の歌は、劇中のベラや野獣のいる空間で同時に響いているというより、むしろ劇伴のように、アニメの画面の外側で観客に向けて演奏されている。「美女と野獣」は、劇中で歌われているという体裁をとりながらも、半歩ほど物語世界から踏み出しているのだ。
そして、だからこそこの歌は、作品世界全体を包み込みこんで、『美女と野獣』が古典的なおとぎ話であるということを静かに指し示すことになる。「美女と野獣」の冒頭の一行は「時間ほどに古い物語」という。これが映画『美女と野獣』そのものを指しているのは言うまでもない。非常に巧みな歌の使い方である。
……と、ミュージカルとしての『美女と野獣』を褒め称えた後に、大変心苦しいことを書かなくてはならない。というのも、最初に「ミュージカルは頭ではなく、心に訴えかける」という言葉を引いたが、この言葉の通り『美女と野獣』という作品は確かに心で味わうには最良のミュージカルといっていいと思う。でも、頭で考えるとすると、いささか首をひねらざるをえない部分がある作品でもある。
いくつかある中でも、一番気になるところをずばり書いてしまおう。ベルは本当に野獣の事を愛しているのだろうか? 
というのも、冒頭に流れる「ベルのひとりごと」で彼女は、無教養な村人への絶望と、小説に出てくるような劇的な人生へのあこがれを高らかに歌っているのだ。端的に言って、このメンタリティ、いわゆる“不思議ちゃん”に非常に近い。変わっているといわれるのが(実は)好きな彼女は、野獣を好きだと思う特別な自分こそが好きなのではないか……。
おとぎ話の常として、映画のラストで魔法は解け、野獣は王子に戻る。おそらくその後は、平凡な結婚生活が野獣とベルを待っているのだろう。そうなった時に彼女のような性格であれば再び「小説のようなロマンチックな人生」に憧れはじめないとも限らない。ベルの性格を考えると、「愛の成就」に酔っぱらうことはとうていできないのである。
まあ、ある既婚の男性曰く「ベルは結婚後は、野獣の城にあった大量の蔵書を読んで過ごすからいいんじゃないの」と笑っていたけれど。
そういえば『美女と野獣』の惜しい点がもう一つあって、最後に出てくる元野獣の王子が、なんとも薄っぺらな二枚目なのだ。このがっかり感は、実はミュージカルという魔法が解けてしまった『美女と野獣』という物語と絶妙の相似形を描いているようにも見える。
結論。やはりミュージカルに歌の喜びは不可欠である。

(2008/04/25)


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