第5回 「着る喜び」の歴史
衣装替えは変身と同じ
イラスト/KEI-CO
前回の「喜ぶ」が「食べる喜び」だったので、今回は「着る喜び」の話を。
そもそも「着る喜び」と感じるのはどんな時だろうか。やはりそれはある服から別の服へと着替える瞬間じゃあないだろうか。いくら素敵な服でも、着ずっぱりでは「着る喜び」を実感しにくい。つまり「着る喜び」とは「いろんな服に着替える喜び」なのだ。
「着替える喜び」ということでパッと思いつくのは、映画『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(84)にでてくるデートシーン。台の上にのると自由にコスプレできる装置が登場し、一条輝とリン・ミンメイが次々と衣装を披露する。締めくくりに登場するのはミンメイのウエディングドレス姿! この「お嫁さん幻想」は今見ると、ちょっとむずがゆいのだが、“コスプレマシーン”というSF的なアイデアのおもしろさもあって、「着替える喜び」がそこにはあった。
SFの次は魔法もの、というわけじゃないけれど、春のアニメ映画『オシャレ魔女ラブandベリー しあわせのまほう』(07)にも、いろんな服に着替えるシーンが出てくる。主役のラブとベリーが遊びにいくために魔法で衣装をチェンジするのだが、なぜかこちらはその印象が薄いのだ。
もちろん服はカワイイし、演出や作画に問題があるわけではない。思うにこれはシチュエーションがその一因なのではないだろうか。
そもそもアニメのキャラクターは“見た目が10割”である。ファッションも含めた外観は、そのキャラクターの内面と分かちがたく結びついている。そして内面が変われば外観も変化する。逆にいうと着替えによってそのキャラクターの外見が変わる、ということはそのキャラクターの中身もまた変化しているということでもある。
つまり「着替える喜び」とは「変身の喜び」といいなおせるのだ。
『マクロス』の場合は、ミンメイが自分の意志でウエディングドレスを着てうれしそうに微笑むという部分は、アイドル→お嫁さんという「変身」になっているのだ。こんな具合に衣装と心情がシンクロしているキャラクターは何人も思い当たるはず。
ところが、『ラブandベリー』は「オシャレ魔女」という設定なので、着替えは――原作となったゲームの時から――デフォルト。「着替え」は「変身」のような特別なことではない。だから彼女たちの内面も特に変化したりはしない。結果的に二人の着替えシーンで「着る喜び」は前面に出てくることもない。
ところが同じ映画の中でも、そうではない場面もある。二人が知り合ったおとなしい少女ユミを励ます場面だ。ふさぎがちなユミがアイドルを目指せるように、おしゃれ魔法カードで励ます二人。ここなんかはまさにユミの「変身」が題材になっている。だからこちらではアニメならではの「着る喜び」が実感できたのだ。
当たり前になった衣装替え
とここまで読んで、疑問を持った人も多いかもしれない。
アニメキャラが同じ衣装を着ずっぱりで、衣装替えが少なかったのは、過去の話。『働きマン』(07)の主人公松方弘子は、第1話で7回衣装替えをしたというし、そもそも最初に話題に挙げたリン・ミンメイだって、TVシリーズの序盤で――当時としては画期的なほど――私服をチェンジしていた。「変身」ではない「着替え」というのは、もはやアニメでは珍しくないのではないか? と、そんな具合に。そしてその疑問は正しい。
実はその疑問、アニメ史的にも重要なポイントを突いている可能性がある。
「着替え」の非変身化、あるいはカジュアル化というのはつまり、アニメのキャラクターが「見た目が10割」の存在から、軸足を変えてきているということ。
その変化はいつから起きたか。先ほどのTV版『マクロス』のミンメイをランドマークとして考えると、この変化はおそらく80年代初頭から起きている。
70年代半ばから80年代半ばにかけて日本のアニメは、「リアリズム」を獲得しようとしていた時期だ。その一部は成功し、その一部は失敗したのだが、その流れと「変身」ではない「着替えのための着替え」の登場が微妙にシンクロしているようなのだ。
これはこういう理由ではないだろうか。
アニメがリアリズムを求めた結果、アニメのキャラクターは外観に左右されない「内面」を手に入れることになった。「内面」があるのであれば、外観が多少変わっても、キャラクターの一貫性は保たれる。カジュアルな着替えとは、それをまとう「内面」があればこそ可能になったのだ。
「内面」と「着替え」の関係を頭に入れてみると、キャラクターが複雑な感情を持つハイターゲット作品ではカジュアルな着替えが登場する一方で、低年齢向け作品ではあまり「着替えのための着替え」が登場しない、ということにもそれなりの理由がありそうだ。『ドラえもん』のキャラクターの衣装チェンジに議論が百出する状況もこの延長線上にあるだろう。そう考えると『ラブandベリー』の低学年向けキャラクターでカジュアルな着替えを披露する、というコンセプトは、なかなか斬新ということができる。
このように、この20年余りをかけて、アニメのキャラクターは、唯心論(存在の根拠を心にもとめる考え方)的存在から、心身二元論(心と体は別のものという考え方)的存在へと、ゆるやかにシフトしてきたのだ。
では心身二元論が行き着くとどうなるか。その答えは『キディ・グレイド』(02)にある。この作品ではなんと、主人公二人がシリーズ半ばでその姿を変えてしまうのである。こうなると体ももはや服と変わらない。
(2007/04/20)