藤津亮太のAnime喜怒哀楽

第16回 “タコさん”は楽しい

『Kanon』『ケロロ軍曹』etc
アニメの中の“タコさん”
イラスト/KEI-CO

タコさんウィンナーとは何者か?
半分に切ったウィンナーの断面に縦の切れ目を入れて炒め、反り返った切り込み部分が独特のシルエットを作り出す存在。時にはゴマなどの飾りで“目”がつけられることもあるという。日本の弁当のおかずにおける定番の一品で、これがあるだけで弁当箱の中がにぎやかになり、楽しい気分になってくる。
定番の一品だけあって、アニメ(やマンガ)の弁当シーンなどにもしばしばタコさんウィンナーは登場する。あるいはむしろ「アニメ・マンガの中にある食べ物」として、あの“マンガ肉”の仲間として、タコさんウィンナーを捉えている人も少なくないだろう。
たとえば『Kanon』の第5話「魔物たちの小夜曲〜serenade〜」。倉田佐祐理が取り出した重箱の弁当箱の中にタコさんウィンナーがきれいに収まっている。この場面がユニーク(?)なのは、普段は無口な川澄舞がタコさんウィンナーを食べたいといったのを受けて、主人公の相沢祐一が「お前が好きなのは、タコなのか、ウィンナーなのか?」と質問を投げかけるところ。タコさんウィンナーは、タコなのか、ウィンナーなのか、という質問冗談のように見えてなかなか鋭い。そこには、タコさんウィンナーの存在についての本質的な問いかけがある。
それから『ケロロ軍曹』の第84話「桃華 ちょっと宇宙でランチでも であります」。こちらでは西澤桃華が、思いを寄せる日向冬樹と甘い雰囲気を作り出そうと、弁当を手作りする。もちろんその願いは、日向家に居候する宇宙人ケロロたちのちょっかいによって見事打ち砕かれてしまうのだが……。この冒頭の弁当制作シーンで大きくフィーチャーされていたのが、やはりタコさんウィンナー。桃華がタコさんウィンナーを慎重に重箱の中に並べ、弁当は見事完成となる。
『コードギアス 反逆のルルーシュ』のSTAGE17「騎士」にもタコさんウィンナーは登場している。世界最大の国家神聖ブリタニア帝国に挑むレジスタンス黒の騎士団の幹部、扇。彼の弁当の中にタコさんウィンナーがあるのだ。この弁当を作ったのはブリタニア軍の女性兵士のヴィレッタ。彼女は、戦いの中で記憶を失い、扇に助けられて、彼の下に身を寄せるようになったのだ。こわもての兵士だった彼女が、記憶を失った途端に家庭的になってしまうというギャップのおもしろさ。そのおもしろさが、弁当箱の中のタコさんウィンナーに集約されているのである。


日本特有の“タコさん”
その図像学

また、タコさんウィンナーのちょっと珍しい使い方といえば『true tears』の第5話「おせっかいな男の子ってバカみたい」がある。
ヒロイン格である二人の少女、湯浅比呂美と石動乃絵が弁当を広げ、おかずを交換する場面。こういう場面でタコさんウィンナーが出てくるのは『Kanon』第5話を見てもわかる通り、むしろ自然な流れだ。
だがこの時乃絵は、比呂美が最初に渡そうとしたタコさんウィンナーに顔をしかめ、プチトマトをもらうのだ。後のシーンで、乃絵はタコさんウィンナーの赤い色を人工着色料による偽物の色と語る。同作はタイトルが示す通り、「本物」がひとつのキーワードとなった作品。ここではタコさんウィンナーの赤が、偽物の象徴として作品の主題を照らし出す役割を果たしている。
それにしてもどうしてアニメ(やマンガ)でタコさんウィンナーがよく登場するのだろうか。
クルッと巻き上がった脚によるシルエットにある種のキャラクター性が宿っている、というのがまず一つ考えられる理由だ。その形だけで視聴者は、登場人物が食べようとしているそれが何かを理解してくれる。
さらに、その凝った形状がそのまま「手作り料理」の記号になっていることも大きい。同時にそこにそれだけの愛情や友愛といった「思い」が込められている、ということも示している。先に挙げたいくつかのアニメでのタコさんウィンナーの登場例を見れば、すぐに納得できる。
ちなみにこのタコさんウィンナーは、日本で考案されたもの。長年NHKの『きょうの料理』で講師を務めた料理研究家・尚道子の発案によるものだという。
だから海外のアニメファンなどは、このタコさんウィンナーを見ても、いまひとつピンとこないらしい。それは画面を見ても、その背後にある「手作り料理」とそこに込められた「思い」のコンテクストを、瞬時に理解はしがたいということでもある(もちろんの物語の流れの中で理解できることも多いはずではあるが)。
こうして見ると、タコさんウィンナーとは決して単なる食べ物ではないのではないだろうか。むしろそれは図像学的存在と考えたほうが納得がいく。
図像学とは、美術などの表現について、その表現の表す意味やその由来――つまり文化的なコンテクスト――を明らかにする学問だ。たとえばヨーロッパ中世の美術では、キリスト教などの文化的コンテクストを背景に、ユリは「純潔」、イヌは「忠誠」などという意味を与えられ、美術作品の中に配置されていた。
『Kanon』の祐一が発した「お前が好きなのは、タコなのか、ウィンナーなのか?」という問いが重要なのは、それが物語の中では、タコでもなく、ウィンナーでもなく、別のものとして機能していることを言外に指摘しているからだ。
そして『true tears』第5話の「人工着色料のウィンナー」が意味を持つのは、「タコさんウィンナー」に込められているのは本来は「作り手の本当の気持である」という言外のコンテクストを前提としているからにほかならない。
さまざまな場面で人の思いを具体化し、その場を楽しませて、そして(胃袋の中へ)消えていくはかないアイコン。それこそがタコさんウィンナーの正体なのだ。


(2008/03/21)


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