第20回 彼方の青空
イラスト/西尾鉄也
公開日に少々先駆けて、押井守監督の最新作『スカイ・クロラ』を観る機会に恵まれた。
主人公は〈キルドレ〉と呼ばれる若者たち。
彼らは思春期の姿のまま永遠の命を生き続ける。
相応の感傷や好奇心もちゃんと持ち合わせている少年少女たちが、まるで存在の証明を自ら問うように〈戦場〉という名の大空へ飛び立っていく。
彼らが身を投じている〈戦争〉は国家間で繰り広げられる政治目的のそれではない。平和という名の時代に首まで浸かった大人たちが生み出した〈ショーとしての戦争〉である。
しかしながら、そのショーに予定調和はない。キルドレたちが懸けているのは紛れもなく自分の命なのである。
私は無手勝流で映画を楽しむ主義だ。
『イノセンス』初見の時は、冒頭でバトーが車から降り立つ際の軋んだサスペンションを見た瞬間に、言葉にし難いテーゼを得た気分になってそのままラストまで一気に引き込まれた。
全編にそこはかとなく漂う中年男の悲哀を件の描写でいち早く感じ取ることができたからかも知れない(甚だ勝手な解釈だが)。その後も公開中に幾度か映画館に足を運び、いずれの回も堪能したことを覚えている。
今回は違った。
圧倒的に拡がる青空の青と地平線の緑。運命に翻弄されるキルドレたち。
静動ひっくるめた描写の全てが独立した符号になって強烈な印象を残す。強烈過ぎて個々のシーンで置いてきぼりを食った気分になったのである。間髪開けず観直して反芻したいところだが、公開前ではそうもいかない。果たして私は乗りきれなかったのか。
その後、数日という時間をかけてじわじわとボディーブローのように効いてきた。
かかった時間はとうに忘れていた〈あの頃〉を思い出すのに手間取ったせいだと気付く。美化しているワケではないが、人並に通過してきた思春期の頃を掘り起こしてみると、キルドレたちの葛藤に僅かながらも近付けたような気がしたのである。感情をもてあましながら何かを模索した十代の頃は私にも確かにあった。記憶の中から呼び戻した感情を何とか維持したまま、もう一度スクリーンに向かいたい。
まったく……無手勝流が聞いて呆れる。
昨年の夏、(『スカイ・クロラ』の)制作真っ只中の押井監督と話す機会があった。
空手を習い始めたという監督は、体型も引き締まり健康そのものである。
その際、監督の口から意外な言葉が漏れた。「実は長い間、スランプだった」。その話を聞いて私はある事を思い出した。
押井監督は『イノセンス』制作中に一度大きな引っ越しをしている。その手伝いに行った時のこと。新居のドアを開けると、まだがらんとした家の奥で監督が「おー」と手を振っている。その姿をみて少し驚いた。失礼な言い方をすると、一気に幾つも歳を取ったように見えたのだ。当時、愛犬の体調が思わしくなく、そのことを気遣っての引っ越しでもあったのだが、私は監督の体調こそ大丈夫なのかと心配になった記憶がある。
ちょうどその頃が監督いうところの〈スランプ〉期間の真ん中あたりに当てはまるわけで、『イノセンス』はまさに魂を削るようにして生み出された作品なのだと私は理解している。
それでは自身を指して「生まれ変わったようだ」と公言する押井監督の最新作『スカイ・クロラ』はどんな作品なのか。
是非ご自分の目で確かめて頂きたいのだが、ひとつ挙げさせてもらうとすれば、劇中に登場するバセットハウンドの描写が素晴らしい。
キルドレたちが乗った飛行機を見送るように、またあるときはその帰還を喜ぶように滑走路の上を並走する。
『イノセンス』でもおなじみのバセットだが、今回は一味違う。作品が変わればアプローチも違うのは当然なのだが、私は未だかつてスクリーン上をこれほど気持ちよく走りまわる犬を見たことがない。
そして、その疾走する犬の姿に〈新生・押井守〉を重ねてしまうのは私だけではないはずだ。
8月2日公開! 是非!!
(2008/07/25)