数土直志のアニメビジネス漂流記

第15回 賞ほど素敵な商売はない

イラスト/みやもと

先日、2007年に公開されたアニメーション賞を決めるある投票用紙が送られてきた。「僕ごときがこんな投票をしていいのか?」という若干の後ろめたさは多少ある。
しかし、お祭り好きの僕にとっては面白い作業である。結局は、結構楽しみながら2007年の気になった作品やクリエイターを選び出してみた。

今回は投票という特別な作業だが、普段の僕にとってはこうしたアニメーション関連の賞は、常に大きな関心の対象だ。特に毎年の年末から年明けまでは、アニメーション関係だけでも毎日映画コンクールや文化庁メディア芸術祭、東京アニメアワード、そして海外に目を移せばアカデミー賞やアニー賞まで、様々な賞が集中するいわゆる「賞レース」の時期、僕のテンションは妙に高まる。
「僕の好きなあの作品の世間的な評価は一体?」といった感じだ。

こうした「賞レース」に対する関心は、どうやら僕に限ったことではないらしい。少なくともアニメ情報サイトを名乗る「アニメ!アニメ!」のアクセス状況を見ると、「○○が××賞を受賞」といった記事は安定した人気を誇るトピックスである。
受賞結果を見ながらの自分の応援するあの作品が受賞したという喜びや、あるいはこの作品が受賞してなぜ自分の好きな作品が受賞しないといった憤り、賞の結果を眺める悲喜こもごもは、多くのアニメファンに共通するらしい。

もっとも、こうした「賞レース」に対するお祭り騒ぎへの批判も少なくない。真に価値がある作品が選ばれているのかとか、多くの優れた作品に優劣はつけられないといった主張だ。
確かに今回僕が行ったような投票形式の賞は、多くの人が投票するという性格のため知名度の高い作品が有利になる感は否めない。逆に限られた人数の識者が選考する賞は、優れた委員であってさえ個人的な嗜好が選考を左右する可能性が高い。
それに短編から長編、幼児のための教育ものから成人指定の作品、2Dから3DCG、ストップモーションまで、限りなく広いアニメーションの作品群を同等に評価する難しさもある。
誰も認める、絶対的な賞はなかなか存在し難いだろう。

それでもこうした賞が大切なのは、作品やクリエイターを数字以外の視点から評価するという作業にある。日本のアニメーションはそのほとんどがエンタテイメントを目的に製作されている。そのため作品の成果は、視聴率や観客動員数、DVDなどの数字で評価されることが多い。しかし、数字のみで作品が語れないことは、多くの人が感じるところである。

賞の選考はある程度の主観があっていいと思う。つまり、数字では語れない優れた作品を拾いあげる作業であるべきだ。
だから、こういった人達が投票した賞では、この作品が一番だった、この選考委員のなかではこの作品が一番だったで問題はないと思う。異なる選考方法や価値観から作品が評価されれば、それだけアニメーションの世界もまた広がるのでないか。
そして、昨年の『時をかける少女』のように、異なる評価を経てなおかつ同じ結果ができてくるなら、きっとその作品には普遍的に優れた価値があるに違いないだろう。

そしてさらに重要なのは、こうした賞がアニメーションの作品やそのクリエイターの業績を讃える数少ない機会であることだ。アニメファンから見ると、あの作品、監督、アニメーター、声優はあんなに高い評価を受けている、人気がある、だからもう十分でないかと思いがちだ。
でも、そうしたファンの想いは意外に作り手側に届いてないことが多いように思う。アニメーションの作り手に対して「面白かったです」、「素晴らしい作品をありがとうございます」、そうした言葉をあらためて届ける数少ない機会が、こうした賞の最も重要な意義でないだろうか。

(2008/02/21)
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