第16回 「大きなお友達」と「もの」を買う喜び
イラスト/みやもと
JR東京駅の地下に「東京キャラクターストリート」というキャラクターショップばかり集めた商店街ができた。日本を代表するキャラクターショップが14店舗集まっているという。ちょうどニュースにするべきネタがなかったので、取材のつもりで出かけてみた。
なかなかエキサイティングな場所である。とにかくキャラクターの量が豊富で、場所柄もありいいお土産の名所になりそうだ。いまひとつメディアに取り上げられないのは、運営母体がJR東海というエンタテインメントのメディアに馴染みがない鉄道会社のせいかもしれない。
……と出足の頭の中は、かなりきちんとした取材&分析モードだった。
ところが週刊少年ジャンプのキャラクターグッズを集めた「JUMP SHOP」に入った時に、僕のオタクアンテナが強烈に反応した。
そこに大量に並べられた少年マンガのピンズのなかに、「品切れ中です。今後の入荷は未定です」「現在、在庫のみです」の文字を見たからだ。
「数が少ない」「今買わなければ二度と手に入らない」───これはオタクな消費者にとって殺し文句だ。
「買わなければいけない」と、ここで僕の東京キャラクターストリートに来た当初の目的は完全に忘れられる。
子供向けに作られたアニメやマンガ、キャラクターを愛好する人たちを、「大きなお友達」と呼ぶことがある。企業がキャラクター商品の子供の消費者を、「お友達のみんな」と呼ぶことに由来する。
「大きなお友達」の特徴は、大人であるがための購買パワーの大きさである。とにかく好きな商品に子供たちの数倍以上のお金をつぎ込む。
カプセル玩具やカードゲーム、フィギュア等、子供の数が減って縮小が危惧されるキャラクター市場が、世間で思われているほど縮小してないのは、この「大きなお友達」の存在によるところが大きい。実際に、売る側も、かなりそうした消費者をあてにしている気配が濃厚だ。
僕もそうした「大きなお友達」のひとりという訳である。
しかし、大きなお友達の難点は、純粋なファン心理に「+打算」が加わる点だ。商品の選択で、好きなもの以外に、価値のあるもの、人の持ってないもの、さらに値段が上がるかもしれないという、子供にない基準が存在する。
だから「絶版」「限定」「レア」の言葉に、「大きなお友達」は大きく反応する。
話を戻すと、僕はすっかり仕事を忘れてピンズの品定め入っている。しかし頭の中では、当然かなり打算が渦巻いている。
「『NARUTO』『BLEACH』は人気あるけれど、アニメの放映もまだまだ続くから、これは増産するな」
「こちらの作品はかなり人気が高い作品だが、アニメの放映は終了予定だから、今後キャラクター商品の生産数は減る可能性が高い。そうなると今買って置くとレア」といった具合だ。
冷静に考えれば、400円のピンズにプレミアがついてなんぼのものである。例えば、何かの拍子で、価格が10倍になったところで、社会人としての儲けとしてはたかが知れている。
しかし、冷静さを失っている僕には、そんな考えは思いつかない。散々迷った後、レジでお金を出して商品を買った時の満足感の大きさ、なんとなく得した気分。
「今日はいい一日だった」
しかし、その反動は帰りの電車のなかから既に始まっている。
『BLEACH』や『アイシールド21』、『ワンピース』のピンズを、この歳になって普通に身につけるわけがないじゃないか? 第一、レアものの値上がりを待つなら未開封、未使用が大前提だ。そもそもレアになって転売するほど儲かる保証はない。むしろそんなことは起こらない可能性のほうが高い。
実はこれはいつものパターンだ。うちには、いろいろな種類のカプセル玩具フィギュアが山のようにある。少しばかり値上がりしているものも幾つかある。
しかし、実際には高くなっても、そうしたものに限って愛着が湧いており、転売する気も起きない。しかも、それを飾れる空間は限られているので、大抵はしまったままだ。おかげで家の押入れや引き出しの中には、ちょっとだけレアな数々のキャラクターグッズが溢れている。
でもこうしたグッズを買ったことにあまり後悔はない。結局、キャラクターグッズを買う喜びは、買う時の高揚感が一番大きい。そして所有する喜び。持っているだけでうれしいのだ。別にそれを利用するとか、日常的に鑑賞することは重要でない。
「似たようなものをもう幾つも持っているでしょう?」
ものを欲しがる子供を諭すために、大人たちがよく使う言葉が頭のなかに響く。子供たちの欲望もまた、欲しいキャラクターを手に入れる一瞬の喜びにある。
そして、そうした一瞬の喜びを忘れずにキャラクターグッズを買う大人たちは、まさに子供の心のまま大人になった「大きなお友達」だ。
(2008/03/21)