すべてはアニメ誌から始まった
私のオタクカルチャー人生
イラスト/こじま あや
皆さんはアニメ誌って読んだことありますか? 恐らくここを見に来てくださる読者の方は、ほとんどがアニメ誌経験者だと勝手に踏んでいるのですが(笑)。
「経験者」としたのは、たいてい“卒業”しちゃうからなんですけどね。
作品や、作品を手がけるスタッフに思いを馳せる。子供の頃の“体験入学”から始まって、いろいろ探して、自分がこれだ! と思う雑誌に巡り合って、発売日には本屋さんで名前を言って手渡してもらう。定期購読とまではいかなくても、好きな特集があったときはおこづかいと相談して、“今月の一冊”を決める。そして他の本は暗唱できるくらいに本屋さんで立ち読み(苦笑)。そんな経験をしている人も多いと思います。
私もご多分にもれずのアニメ誌人生でありました。
1980年前後、アニメブームに乗ってたくさんのアニメ誌が創刊されました。
自分で最初に買ったのは中学生の頃、創刊間もない『アニメディア』でした。何枚もついてくるピンナップがうれしくて部屋中に貼りまくりました。
高校生になっておこづかいが増えてからは『アニメージュ』を定期購読するように。私は『ガンバの冒険』という古いアニメが好きで、出崎統監督作品の特集が定期的に組まれるのがアニメージュだったんです。地方在住者にうれしい全国放送リスト(再放送も含む)もついていました。東京にある『ガンバ』のファンクラブを知ったのも、読者投稿欄からでした。
ネットがなかった時代の雑誌は、全国の人が平等に手に入れることができる唯一のメディアでした。田舎に住んでいた私にとって、雑誌に掲載されている情報は本当に貴重で、たくさんの出会いを運んでくれました。
大学を卒業してから入社した映画配給会社も、高校時代にアニメージュのイベントコーナーで知った劇場版『ガンバの冒険』のホール上映で、映画会社の人にLPレコードを貸してあげたことがきっかけでした。アニメ誌の一行が人生を左右するという局面が、本当にあったんです。
私とアニメ誌の関係は、社会人になったときに一旦切れたのですが、思いもかけないところで再び繋がります。
映画会社を辞めて上京して、勤め始めたアニメ制作会社が半年で潰れて路頭に迷ったとき(苦笑)、思い立って、以前映画宣伝でお世話になった『アニメージュ』の編集さんに電話で相談したのです。
かくかくしかじかで職を失ってしまったのですが、アルバイトでも何でも良いのでお手伝いすることはできませんでしょうか……。
それまで出版社で働いた経験もないし、就職試験を受けたことすらなかったのに、無謀だったなあと我ながら思うのですが、そこは24歳の小娘がやることですから! 来月の家賃も払わなきゃいけなかったし!(笑)
「じゃあ、よかったら来てください。お仕事ありますよ」
なんだってーーー!!
高校生の頃に大好きだったあのアニメージュですよ! 「憧れの○○誌」には、人によっては『ロッキング・オン』とか『ユリイカ』とか『別冊宝島』とかいろんな誌名が入ると思うのですが、私にとってはそれがアニメージュだったのです。地方と東京、読者とメディアとの距離がとても遠かった時代、“その場所”に行けることがどんなに奇跡的でうれしかったか。
初めて編集部に行ったら、読者投稿欄「マイアニメージュ」の“くみやん”や、人気連載「いいキャラみつけた!!」の徳木吉春さん、リスト制作委員会のデータ原口さんの姿が! 思わず「わあっ、本物だー!」と叫んでしまいました。毎月載っている似顔絵とそっくりだったものでつい……。まあそこは小娘ということで。あんときは大騒ぎしてスミマセンでした(笑)、先輩方。
節操なく流行を追いかけるのが
アニメ誌の特徴であり本分!
アニメージュでは、作品の記事を作ったり、「セル撮」したり(セルを組んでカメラマンさんに撮影してもらうこと。昔のアニメ誌は各誌独自にセル撮した写真が載っていました)、声優インタビューの連載を持ったりと、いろんなお仕事をさせてもらいました。
その中で、私の柱のひとつになったのが声優インタビューでした。私が入った頃のアニメージュ編集部では、作品とクリエイターを取材したいと考える記者が多く、声優さんに関する特集はあまり組まれなかったのです。作画や演出技術以上に「人」に興味を持っていた私にとって、声優さんの取材はなじむ仕事だったと思います。声優雑誌『ボイスアニメージュ』を編集長の古林英明さんと一緒に立ち上げたのも良い思い出です。
もうひとつは、女性ファンの気持ちを反映した記事作りでした。女性漫画家さんのイベント特集を組んだり、同人作家さんにイラスト付きでアニメを語ってもらったり、20代のコアな女性層にまで届いて欲しいという気持ちで作っていました。
声優インタビューも、女性向けイベント特集も、今では当たり前のものになっていますが、90年代前半はまだ、アニメ誌で「大人の女性ファンの視点」を大きく取り上げること自体が冒険だったのです。
ページを開くと、大御所監督の絵コンテやロングインタビューのお隣に、“男同士の関係を熱烈フィーチャー!”とか、ソレっぽいイラストがバーン!みたいな(笑)。正直、老舗雑誌的にはどうだったのか……。女性読者からは喜びのお便りが届きましたが、いろんな意味でギリギリだった気がします。懐の広い編集部に感謝するほかありません。
アニメ誌が誕生して30年になります。
読者層は、今も昔も10代の中高生が中心。今なお支持され続けている理由を、私はこう考えます。
「ミーハー魂」があるからなのだと。
何か流行るとすぐに追いかける。持ち上げる。盛り上げる。そして祭りが終わると新しい場所に移っていく。
昨今は「萌えアニメ」特集が多く、昔のアニメ誌を知る玄人筋のファンからは「流行ばかり追って節操がない」という“おしかりの声”も聞こえてきます。
でも、節操がなくったっていいじゃありませんか。
新しいものに飛びついて流行にしていくのは、日本のアニメーションも同じなのですから。
最先端の表現が次々に登場して、抵抗があった層にも次第になじんできて、ひとつの形として受け入れられる。
昔のアニメ誌にはたくさん載っていた「作画特集」だって、当時は、アニメの技術を学ぶというより、若手アニメーターの“暴走”を楽しむような……こう言っては何ですが「アニメ作品を総合的に理解する」にはバランスが悪い記事も多かったですよ(笑)。
恐らく創刊当時からアニメ誌はミーハーの道を歩んでいたと思います。
「最先端の流行を追いかけて、年長のファンからおしかりを受ける」という構図も、もはや伝統になっているのかもしれません。
大人たちに幼稚だと叱られても、友だちからオタクっぽいと笑われても、好きなアニメを手離さなかった私たち。ファンを続けるには、“たくさんの世間様”と戦わなくてはならなかった。そんなファンシーンの歴史を持つ日本のアニメは、カウンターカルチャーとしての意味や役割を持っているのだと思います。
ミーハーで、若くて知識のないファンもどんどん受け入れる。
アニメ誌は、日本のアニメの写し鏡なのだと思います。
(2008/07/10)