佐藤竜雄の高円寺酔生夢死

結びの巻 絶好地


イラスト/佐藤竜雄

さて、前回の続きである。

絶好地なのに店が続かない、果たしてそんな場所があるのかといえば、これが実際に存在するから面白い(店にとっては災難だが)。高円寺駅の南口を出て右を進み、左を曲がるとパル商店街に入る。かの場所は曲がって二軒目のところにある。

「え、駅からすぐでアーケード街の入り口じゃない。何でそんな絶好の場所がNGなのさ?」

人はたいていそう思うだろう。駅から近いし雨風も吹き込むことはない。しかも入り口に近いということは、やたらに目立つ立地の筈だ。おそらくテナントを借りた人もそう思って契約したに違いない。確かに駅から真っ直ぐアーケード街に入るようになっていたならば、かの場所に店を開けば連日お客が吸い込まれていくだろう。
ところが実際には喫茶店、そば屋、寿司屋……その他色々な店が果敢に挑み、敗れていった。何故か? それは左曲がりの道行きにある。

人は道を左に曲がる時、たいてい正面から 右側辺りを眺め、曲がりきったところであらためて正面を見て更に進んでいく。これは右が利き目の人に起こる現象で、左が利き目の場合はその限りではないのだが、世間一般には右利き目の人の方が多い。
曲がる直前ならば角にある一軒目の店は目に入る。
けれども、アーケードに入ってあらためて商店街を眺めたときには、二軒目に位置する「絶好地」はすでに視野の外にある。
左側の並びの店が目に入ってくるのはそこから更に数軒先。おまけに商店街の手前より、道は坂になっている。歩を進める人は心なしかスピードアップして角を曲がり、更に傾斜を増したアーケードの中をさらに勢いをつけて下って行く。「絶好地」には目もくれず、である。かくしてかの店が見逃される確率は更に増していく。人は沢山通るのに何故か足を止めてくれない日々がそのまま続き、その存在を気づかれないままに店はつぶれる。
そして、次の店のための改装工事中に「絶好地」を通り掛かった人は大抵こう思うのだ。

「あれ、ここって前は何やってたっけ?」

つぶれた店を思い出す切っ掛けは次の店の開店前というわけだ。そしてまたもや新装開店。いったんは開店祝いの花輪を眺めたりするものの、再び道を急ぐ人はいつしか店のことが視野から外れていき……家賃の高さ以上にこの視線の罠は大きな壁である。
アニメやマンガでも視線の誘導は大きな演出要素として使われるが、街中でもこうしたリアルな「演出」や「罠」はいくらでも転がっている。あまりにさりげないので住人も気がついていないことも多いのだが、それだけに発見した時は、驚きと感動がある。

フィールドワークをしていたわけでもなく、飲んで歩いてその道なりの途中でふとひらめく。そんな瞬間がサトウの場合結構多い。
その結果、オリジナルの企画に結びついたこともあるし、脚本のアイディアが生まれたこともある。別にそのために飲み歩くわけではないのだが、外飲みが止められない理由の一つでもある。周囲の酔客のざわめきに身を委ね、日々思う由無し心(よしなしごころ)をあらためて想ってみたり。
そんな流れの果てに待っているのはまだ見ぬ新たな作品世界の住人達……なんて素敵な事ではないだろうか。

街を歩く人々の顔立ちやファッションを見るのもいいが、街と人の関わりをシステマチックに眺めるのもいいものだ。決して面倒ではない。サトウのように酒を理由にブラブラとするのもいい。欲しいCDを買うためにショップ回りをしてもいい。全ては街に出るための切っ掛けに過ぎない。
自身の内なる世界を広げるために外の世界に足を踏み出す。矛盾しているようだがこれは正しい。
外の世界に意味づけや位置づけをする基準はどこにある? それは自分の中にある。そうやって外の世界に触れているうちに自分の内なるもののイメージがより明確になる。そして自分にとって何が大事なのかがわかってくる筈だ。オタクな趣味だろうと何だろうとそれは別に構わない。
「大人になれ」と言う人もいるかもしれないが、安心していい。世の中には「大人」という人は滅多にいない。たいていは「大人たらんとして」苦労している人ばかりだ。飲み屋で一晩二晩飲んでみれば、それはよくわかる。そしてそうやって苦労している人は良い悪いはさておき、どこか味のある人物ばかりだ。別にそうした人たちと友達になれというわけではない。その場その場の繋がりを気に留める程度で良いのだ。そしてその繋がりが重なり合って、何やら見えてくるものがある……かもしれない。酒が美味すぎてそんなこと考えたことない、なんて人もいるだろうが、それはそれで幸せだろうけれど。

ところで現在、かの「絶好地」はどうなっているか? 何と今までのパターンを破ることに成功し、今の店になって数年が経った。その店が頑張っていられる理由は色々あるだろうが、まずは実際に歩いてみて行ってみて確認するのもよいかもしれない。

今回で最終回となるが、ここは「それじゃまた」と言っておこう。飲み屋でたまたま同席した酔客のように、いずれまたどこかの飲み屋で会えることを願いつつ。

それじゃまた。

(2008/8/11)
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