佐藤竜雄の高円寺酔生夢死

壱の巻 酔夢譚の始まり


イラスト/佐藤竜雄

高円寺にやって来て、15年になった。
正確に言えば新高円寺時代が9年、高円寺時代が6年。

最初は、青梅街道の南側で、米屋の2階にあるアパートだった。新高円寺駅からも徒歩10分近く離れていたし、JRの高円寺駅に到っては45分以上も掛かった。そこを選んだ理由というのは、別に女子校が近所にあったからではない(笑)。当時のサトウ的家の決め方が駅を中心に半径1キロの円を書いて「この円の中でいい物件ないスかね?」と不動産屋に乗り込むという物凄く大雑把な方法だったから、結果として駅から一番遠いトコロに決まったわけである。

折しも劇場アニメ『リカちゃんとヤマネコ星の旅』を制作中の頃。
中断・再開を繰り返し、作品の状況的には色々大変だったとはいえ、基本は武蔵小金井のスタジオに通うだけだったので、帰り道の距離がむしろ心地良かった。『リカちゃん〜』は完成したものの、スポンサーのバブルが弾けてお蔵入り。(※)
失意の間もなく、テレビシリーズの各話演出をあたふたとやっていると、不意に監督の仕事。『飛べ!イサミ』続いて『機動戦艦ナデシコ』。
毎週のアフレコやダビング、各方面との打ち合わせ等々が増えてくると「もっと駅のそばがいいなぁ」という思いがつのり、次の家は新高円寺駅から歩いて2分のところに決めた。お米屋さんのアパートの大家さん(つまりはお米屋さんなんですが)はとてもいい人で、「お部屋が狭いのならば息子の部屋もサトウさんにお貸ししますから……」と引き止めてくれたけど、泣く泣くお別れ。大家さんの奥さんに到ってはホントに泣いてくれた。ありがたかったけれど、決めてしまったのだから仕方が無い。申し訳ありません! というわけで後ろ髪を引かれるように引っ越したのは、劇場版の『機動戦艦ナデシコ』が終わった秋頃だった。

新高円寺駅そばのマンションは美術系の専門学校の近くであったが、墓地と斎場も近くにあるためか、にぎやかしいというよりはむしろひっそりとした静かな場所であった。この頃から「一人飲み」を好んでするようになった。駅のそばには飲み屋もそれなりに多いし、何よりもようやく仕事に対してのゆとりが出来た。イサミやナデシコの頃は、とにかくスタジオに篭もりっきりで、ゲーセンやファミレスに行く発想はあっても飲み屋へ行くのは仕事の影響も考えて敢えてしなかった。

行くきっかけになったのは『十兵衛ちゃん』の打ち上げだった。久しぶりに飲んだ酒、というか、飲み屋という場に酔ってしまったのか、思ってもみない少量の酒でぶっ倒れ、揚げ句に西村ちなみちゃんからウーロン茶をもらい、大地丙太郎さんと桜井弘明さんに抱えられて家に担ぎ込まれる、という何ともしまらない一件があった。更にその翌日にSF大会で星雲賞の表彰式があって、死にそうな顔をして長野まで行ったのだが、やはり酒に飲まれてはいかんよなあというわけで、心を入れ替えて(笑)正しい酒の飲み方を学ぶべく、一人で色々な店に行くようにしたのである。

まずは新高円寺駅周辺、そこから徐々に北上。最初に行きつけの店になったのは、今はなき『美味村』というトコロ。そこをベースにして飲み仲間が口にする名前の店には取りあえず行ってみた。
遠征と称してJR高円寺駅周辺もちょくちょく行った。高円寺の中通りは歴史が有る商店街で、その猥雑さは実に気合いが入っている。要はキャバクラやピンサロのネオンがまぶしくて大変なわけなのだが、合間を縫うようにして開いている店は個性的なところが今でも多い。都内初沖縄料理屋としてオープンして40年以上の歴史を持つ『抱瓶(だちびん)』、そして何かとTVに出てくる昼の3時半からやっている焼き鳥屋『大将』。高円寺は日本のインドだと言ったのはみうらじゅんだが、実際にインド、ネパール、ミャンマーの料理屋さんも多かったりした。そのくせ道を一本越えたら静かな住宅街が広がっていたりして、その辺りの街としての緩急にいつしか惹かれるようになった。アニメを作るに際して『街』を意識するようになったのは、思えば高円寺をさまようこの時期だったのかもしれない。
そして『学園戦記ムリョウ』の企画が始まった――。


※『リカちゃんとヤマネコ 星の旅』は、当時劇場未公開。後年、ソフト化され、ファミリー劇場などで放映されている。

(2007/05/09)


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