TV DVD-BOXプロジェクト発進! 監修:西崎義展 発売:バンダイビジュアル 2008年2月22日発売予定

INTERVIEWS

part 1

あのころは声優学校は全くなかったんですよ。

──『ヤマト』は最初の放送をリアルタイムで拝見してました。

麻上 1話めから? 『猿の軍団』(※1)とか『ハイジ』(※2)じゃなくて?

──1話目からです。 うちは熊本だったんで、日曜午前中の11時半にオンエアされてたんです。だからそのへんの裏番組とのバッティングはなかったんです。

麻上 午前中? へえー。そうだったんだ。

──さらに再放送のときは午前6時くらいだったので、早起きしないといけなくて。

麻上 再放送も観てくださったんですね。それはそれは。

──お生まれは小樽ですよね? お育ちが藤沢で。小樽生まれの湘南育ちって、日活映画(※3)みたいですね(笑)。学校も赤木圭一郎(※4)さんと同じだとか?

麻上 はい、鎌倉高校です。

──湘南ではどういう少女時代を過ごされたんですか?

麻上 んー、海が大好きでしたねぇ。高校が海に面してたんで、よく授業を抜け出して、砂浜に降りて。絶好のロケーションなんですよ。みんなが勉強してるとき、そこでよく将来のこととか考えてました。

──青春ドラマみたいですね。山国出身の僕からすると、うらやましい環境で。

麻上 いや、メチャメチャ田舎ですよ、湘南も。横浜が都会って思ってた。

──麻上さんは、はじめから声優になろうとしてなった先駆けの方といわれますが、きっかけはなんだったんです?

麻上 もともとアニメが好きだったんですけど、声優を目指すようになったのは、小さいころに親が買ってくれた、絵本とか紙芝居の影響かなぁと。当時はソノシートが入ってて、その中の声をやってらしたのが右手和子さん(※5)とか、それから里見京子(※6)さんを始めとするNHK放送劇団(※7)の方々で、ひとりでいろんな役を演じながら、読み聞かせていくんです。その影響で、本を読むのが好きになって、小学校にあがってからは、先生が「はい、読める人?」って聞くと、真っ先に手をあげる子だったのね。それもあって、放送委員になって。お昼休みは給食持って放送室にこもって、勝手に朗読の時間にしちゃったり。そこからずーっとわたしのお昼は放送室の中。中学も高校も。ラジオドラマ作ったり、ディスクジョッキーの真似事したり(笑)。

──ラジオに投稿したりとかは?

麻上 あ、修学旅行のとき、旅先でハガキ読んでもらったこと、ありますよ。でも、出す方より読む方をやりたかった。だから高校時代、まずは声の仕事に目標を絞ったんですよ。で、アナウンサーか声優かで迷ってたら、アナウンサーになった放送部の先輩に言われて。「アナウンサーは、書かれた文字をキチッと読んで、聞き手に伝える仕事だよ。けど声優は、文字を自分の感性でとらえて、それを聞き手に渡すんじゃないか」って。それで声優をやりたいと思ったわけです。もともと職人芸というものに憧れてて、アナウンサーより声優の方が職人的だと思ったんですね。で、高校卒業のとき、進学するより、目標に向けて早く一歩を踏み出そうと。

──具体的にはどういう形で?

麻上 声優学校を探しました。でも当時は、全くなかったんですよ。唯一、「アナウンスアカデミー」ってところが、やっと声優科みたいなのを作ったばかりで。でもその年の9月に、黒沢良(※8)さんが声優学校を始めて。当時の声優業界は、新人が入りにくい環境だったんですね。黒沢先生はそこに新陳代謝を起こして、もっと将来に夢が持てる仕事にしたいと。そういう趣旨で、日本で最初の声優学校、「黒沢良アテレコ教室」(※9)を開かれたんです。わたしがそれを知ったのは、夏前かな? 新聞の小さい記事を、例のアナウンサーの先輩が見つけて、切り抜いて送ってくれたんです。で、「受けるっ!」と。

──おうちの方は、何かおっしゃってましたか?

麻上 父は、友だちと組んでやるなら駄目だって言ってましたね。失敗したとき、お互い責任のなすりあいになるからって。自分ひとりならいいって。父は、私が卒業時にまだ返還前の沖縄に1人で旅行に行くのを許してくれるような、女の子も自立心がないとダメだ、というような人でしたから。で、受けに行ったら300人くらい受験生がいて、そこから30人が受かったんです。わたしは何の経験もないけど、他はアナウンサーだった人とか、劇団にいる人がほとんどで、みんな大人。そのひとりがね、アナゴさんの声のかたですよ(笑)。

──若本規夫(※10)さんですね。元警察官で、機動隊にいらっしゃったとか?

麻上 そう! 警察官っていうのは大変なんだっていう話をよくされてましたねー。人身事故のあと始末とか、俺たちがするんだぞって、そんな話ばっかり(笑)。

──黒沢さんの学校では、どういう授業があったんでしょう?

麻上 週3日、3時間ずつくらいで、ナレーションとか、洋画の吹き替えの授業がありました。局のプロデューサーとか、ディレクターとか、いろんな方が講師で来て。けど生徒は、劇団にいた人が大半だから、みんなアテる技術を学んで、すぐスタジオに行って仕事になるんです。そんな中で、わたしだけ何も知らない(笑)。あとで聞いたら、そのまっさらなところを買われて受かったそうなんですけど。そんなわたしにみんなすごく親切で、授業は午後からなのに、朝から練習につきあってくれたりしたのね。一緒に体操して、発声練習して。それは本当に勉強になりました。

──黒沢良さんの印象はどうでした?

麻上 神さまですよ。雲の上の人。何でも初見でできちゃう。納谷悟朗(※11)さんも同じですけど。黒沢先生はCMの仕事をたくさんやってらして、たまにスタジオに連れていってくださったんです。するとスタジオの人が全員バッと出てきて、先生に挨拶するのね。で、すぐ台本受け取って、「先生、そろそろいきましょうか?」「うん」って始めて、「OKでーす」って。1回で秒数もピッタリ。「今回は12.20くらいで」って言うと、それも1回でこなしちゃう。もちろん表現とかもバッチリで。すっごぉいって感じ。

──そういうプロの仕事を、傍で見ていてどう思われました?

麻上 いやぁ、あんな風になりたいって思いましたよ。だってアテレコの仕事行けば、先生用のマイクがあるんですよ。特別な箱をパッと開けると、金色のマイクが(笑)。

──金色のマイク(笑)!

麻上 そう。黒沢先生専用マイク。でね、調整室で見学させてもらってると、ディレクターの中野寛次先生(※12)が「見ててごらん」って、音響装置のメーターを指すんです。そのメーターの針がね、もう決まった範囲内しか動かないの。怒鳴ったときも、ちっちゃな声のときも、つねに真ん中。レベルが一緒。

──やはりNHK放送劇団のご出身だけに、放送での声の使い方に熟達されてたんでしょうか?

麻上 でも放送劇団の人でも、みんながみんなではないから。やっぱり天才ですよ、先生は。

 

※1 『猿の軍団』
1974年に放映されていた、円谷プロ制作のSF特撮ドラマ。『ヤマト』の裏番組のひとつ。米国映画『猿の惑星』の影響を受けており、小松左京、田中光二、豊田有恒らSF作家が原作を務めた。そのうちの豊田氏は、『ヤマト』にも設定や原案で関わっている。また納谷悟朗もブレイン「ユーコム」の声を担当している。

※2 『アルプスの少女ハイジ』
1974年に放映されていた、ズイヨー映像(現・瑞鷹)制作のテレビアニメ。スイスの作家、ヨハンナ・スピリの同名児童文学を原作とする、「世界名作劇場」枠初期の代表作だが、「世界名作劇場」とは制作会社が違うので、通常『ハイジ』は、シリーズには含まれない。やはり『ヤマト』の裏番組で、『猿の軍団』を含む視聴率合戦では、圧倒的な勝者だった。声の担当は、ハイジ:杉山佳寿子、ペーター:小原乃梨子、クララ:吉田理保子、アルムおんじ:宮内幸平、デーテ:中西妙子、ロッテンマイヤー:麻生美代子、セバスチャン:肝付兼太、他。

※3 日活映画
大正元年に創立、70年代はにっかつロマンポルノ、現在では『デスノート』の製作会社として知られるが、ここでは50年代後期〜60年代前期の「日活アクション」時代を指す。石原裕次郎は小樽で幼少期を過ごし、その後、逗子に住んだ。

※4 赤木圭一郎
1939生まれ。日活の映画スター。代表作に、『霧笛が俺を呼んでいる』など。石原裕次郎、小林旭、宍戸錠らと共に、無国籍アクションで活躍し、トニーの愛称で親しまれたが、人気絶頂の61年、ゴーカートの事故で死去。享年21。いまだに根強いファンは多い。

※5 右手和子(うて・かずこ)
1956年放送の外国アニメ『テレビ坊やの冒険』(日本テレビ)において、千葉順二、木元教子とともに声を担当。前年のマックス・フライシャーのアニメ『まんがスーパーマン』(TBS)は、大平透がナマで日本語をつけた「吹替第1号」だが、こちらは録音による「アテレコ」第1号となる。67年には、虫プロのアニメ『悟空の大冒険』で悟空の声を担当。その後は紙芝居の実演、及び研究家として活躍中。

※6 里見京子
1935年生まれ。60〜70年代に、『チロリン村とくるみの木』、『ひょっこりひょうたん島』、『プリンプリン物語』、『サンダーバード』など、おもにNHKで放映された人形劇を中心に活躍。アニメでは、ディズニー映画『白雪姫』の日本語版における、王妃=魔女役が有名。

※7 NHK放送劇団
1941年、ラジオドラマ制作のために設立されたNHK専属の劇団。出身者には、巌金四郎、加藤道子、七尾怜子、太宰久雄、臼井正明、勝田久、高橋和枝、名古屋章、黒沢良、山内雅人、川久保潔、黒柳徹子、横山道代、里見京子らがいる。東京以外にも、基幹放送局は劇団を有しており、若山弦蔵はNHK札幌、内海賢二はNHK福岡の出身。

※8 黒沢良
1930年生まれ。洋画の吹替えではゲイリー・クーパーが当たり役。海外テレビドラマではサンセット77』のエフレム・ジンバリスト・Jr.や『アンタッチャブル』のナレーション、『世界の料理ショー』のグラハム・カーなどが有名。

※9 黒沢良アテレコ教室
第1期には、麻上洋子、若本規夫以外にも、村山明、谷口節らがいる。当時のアテレコ教室はのちに閉鎖されたが、現在でも形を変え、塾を開くなど、黒沢さんは後進の育成に熱心である。

※10 若本規夫
1945年生まれ。本文中の「アナゴさん」とは、『サザエさん』に登場する、マスオさんの同僚のこと。その他の代表作に、『超獣鬼神ダンクーガ』のシャピロ・キーツ、『ドラゴンボールZ』のセル、などがある。最近は『投稿!特ホウ王国』『人志松本のすべらない話』など、バラエティのナレーションでも活躍。独特の節回しはファンが多い。

※11 納谷悟朗
詳細はこちら

※12 中野寛次
太平洋テレビを経て、東北新社の音響監督に。外国テレビシリーズ『FBI』『大草原の小さな家』や『鉄腕アトム』(日本テレビ版)、劇場版『エースをねらえ!』等を担当する。2000年没。

イラスト:とり・みき

PROFILE
麻上洋子 (あさがみ・ようこ)
北海道小樽市生まれ。生後7か月で神奈川県藤沢市に転居。声優を志し、黒沢良が主宰する声優学校に入学。声優としての修行を積む。1974年『宇宙戦艦ヤマト』の森雪役を射止める。以降、『銀河鉄道999』のガラスのクレア、『銀河鉄道物語』のレイラ・ディスティニー・シュラ、有紀カンナの二役、『シティハンター』の野上冴子役、『伝説巨神イデオン』のハルル・アジバ役などで活躍。「アニメの声優を目指して声優になった第1号」と言われる。93年、講談師・一龍斎貞水に入門。「一龍斎春水(はるみ)」と名乗り、05年に真打ち昇進する。

 

INTERVIEWER
とり・みき
1958年熊本県生まれ。79年、少年チャンピオンでデビュー。『るんるんカンパニー』『クルクルくりん』などのポップでシュールなギャグ漫画や、『愛のさかあがり』などのレポート風エッセイ漫画、『山の音』などのシリアスSF系漫画、シュールな9コマ漫画集『遠くへいきたい』(河出書房新社)など多彩な作品を発表している。外画(洋画)の吹替にも造詣が深く、『とり・みきの映画吹替王』(洋泉社)などの著作がある。

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